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★ 「第1回トロントたきのおと会競技かるた初心者大会」に至るまでの ボチボチのかるた歴はこちらから 2001年末、トロント移住者協会とJCCC共催のお正月会・百人一首大会の担当者側から各日本人学校からも生徒を参加させて欲しいとの要請があり、校長から依頼を受け資料探しを始める。 2002年1月末に第2回お正月会・百人一首大会が催されたが、カフェテリアのボランティアが忙しくて見に行く事も出来なかったし、見に行きたいという気持ちもあまり無かった。 2002年2月初めインターネットのお陰で、いろいろかるた関係を渡り歩き始めた頃に、NHKの人間ドキュメント「100分の1秒に輝く〜かるたクイーン決定戦〜」をTVジャパンでしているのを偶然見る。これで何か縁を感じて、本格的に取り組み始める。(ただし渡辺永世クイーンと現荒川クイーンの言っている事が全く理解できなかった。) 当時管理していた日加学園のホームページにかるた関係のリンク集のみ掲載する。 またこの頃、学園のHPを立ち上げてくれた娘と毎日口論が続く。更新しないと意味が無いという私と更新まで責任は無いという娘と堂々巡りを繰り返して、毎日胃痛と心臓の痛みに悩まされる。このままでは本当に病気になってしまうと思い、意を決して、毎日ファイルを見つめて、まず日本語を書き換えることから始めて色指定、フレームの作り方と順次タグを覚えていく。 その後....、 ▽ × △ ◇ □ ▽ × △ ◇ □ ▽ × △ ◇ □ 9月より何とか月一回の授業が始まるものの、上の句と下の句の区別もとっさに分からなくなったり、取り札を分けてきても、絵札のことを忘れていて、読みがしどろもどろになったり、今思い出しても冷や汗ものの授業の連続だった。 またこの頃のある日突然、せわれ、せわれと覚えている自分に無性に腹立たしくなり、「せをはやみいわにせかるる...」というこんなにすばらしい歌があるのにと、しばらくの間、本ばかり読んでいた。 はや12月になる頃、年が明ければかるた大会がすぐに来るし年末年始は主婦としてもボランティアとしても理事としても多忙になるのにかるたに関して何も進んでいないのに気づき、焦りを感じ始める。 2003年1月になり、大会がせまっているにもかかわらず漠然と決まり字を覚えただけで、何か曖昧さと不確かさで限界を感じる。モニターを見つめながら、もうこれまでとあきらめを感じて、最後に何かの証を少しでも残そうという気持ちもあったのか、HNを入れて、ランキングのゲームをする。 その後....、 ▽ × △ ◇ □ ▽ × △ ◇ □ ▽ × △ ◇ □ かるた大会(源平戦)では、散らし取りの練習時間の時に知り合った方と組んで出場し、 どうにか優勝する。 しかし、その夜も次の日も気持ちが落ち着かず、全くかるたが出来なくなってしまった。そもそも大会に出場したのも生徒たちを引っ張っていくのが目的だったし、その目標も達成したのだから私のかるたはこれまでなのかと暗澹たる気持ちに捕らわれる。その頃TVジャパンで、毎晩「かるたクイーン」が放映されていて、それを見るにつけ切なさすぎて完璧に情緒不安定でおかしくなっていた。 次の土曜日、学校のスタッフルームに少年A&Bの2人が入ってきて、「優勝おめでとうございます。」と言うや否や飛び出して行った。一生忘れない。 2月に入って、JAVAより設立2周年記念かるた大会をする連絡が入り、1月のかるた大会の時は出場するのに躊躇した生徒も出場したいと言うので、何とかしなければと初めて家でかるたをすることを考え始める。 そのころ、かるた大会の写真や、JAVAスタッフの日本文化についての原稿やこれからの 練習記録も保存しておく方がよいと思い、かるた関係のサイトを学園ホームページ内につくり、既にあったリンク集もリンク先を増やした。 そのお陰で、バンクーバーに留学中のKAZU@かるた4段より掲示板に書き込みがあり、交信する。バンクーバー情報を集め始め、他の理事にも調べてもらうが、改めてバンクーバーの日系人社会の大きさを実感する。結果的にかるたをしているグループを見つけることは出来なかった。 3月末に生徒2人を連れて、ダウンタウンに行き大会に参加する。生徒達にとって、大きいお兄さんやお姉さんたちに囲まれてしかも自分たちが頑張れたことが大いに刺激になったようだ。でも初めて引率という事をして、しかも今の若い人たちの会話のテンポについていけず、くたびれ果てて帰宅した。 それ以降、6月の卒業式まで各行事の遂行と式典と同窓会の準備と会議でほとんど練習できず、そのまま夏休みに入る。 私自身も子供が全員卒業したので、理事を離れ元理事の立場に変わるも、秋には式典、年末に同窓会があるので業務は続いた。ホームページも現役のお母さんに管理を譲って、卒業生のホームページへかるたのサイトと一緒に引越しする。 9月から新しい8組の生徒たちとかるたを始める。興味の持ち方、性格などを考えて、去年とまた違った方法で授業を進めていく。その為の教材作りをいろいろ考え驕B 9組になった生徒たちのことが気にかかるが、10月にn立25周年記念式典とファウンドレイジングベークセールがあるため、その準備に追われる。 11月になり、少し時間が出来たラ、やっと練習会をする。その日にKAZU@かるた4段よりトロントに来るとメールが入り、 11月8日当方宅にてかるた講習会を開く。今年8組の生徒がこれ以降、積極的になる。私もかるた大会や生徒たちの事などについて、初めてかるたの分かる人と話しをする。 同窓会準備に追われ、あと一回練習するだけで年を越す。年末の同窓会も無事に終わり、理事の仕事はやっと終了した。学園のボランティアも今すぐには無理でも、少しづつ身を引きたいと思っている。 2004年になり、第4回かるた大会に向けて練習を始める。少年A&Bはある程度は頑張れるだろうという気はしていた。私のほうはボランティアもあるし、昨年無理をして出さしてもらったし、今年は他のお母さんに息子さんと一緒に出場してもらいたかったので 辞退するつもりでいた。 USAに留学中のGAKU@かるた5段よりトロントに来たいとメールが入る。結果的に2月末に来ることになる。 かるた大会当日、最終的に校長の一言で参加した。相方のお陰でV2を達成するも、もうこれでお仕舞いにしようと思う。少年A&Bは準決勝で中村、青木チームに負けるが、決して一方的なゲーム展開にはなっていなかった。次回は多分勝てると思う。3,4位決定戦に勝ってくれて本当にうれしかった。 その余波を駆って、その週末にみんなでかるたをする。他校の生徒とおかあさんも参加して来た。メンバーを変えながら源平戦をして、駄べって楽しいひとときをすごす。 2月末に「桃の節句かるた大会」を設定する。生徒たちは優勝する気で、いま頑張って決まり字を覚え始めた。多分間に合うだろう。未経験者の子供も2,3人参加予定なので、 どういう風にするか考えないといけない。でも 、こういう事ばかり考えていて、私自身のかるたは今だ真っ暗闇の中。まあいいか、別に目の前に目標となるような大会があるわけで無し、砂漠の中でオアシスを求めて歩いているようなもの。諦めずにぼちぼちと歩いて行こう。(^^:) |