第1回トロントたきのおと会競技かるた
   初心者大会に至るまでの
ボチボチのかるた歴     



カナダはトロントにあります移住者の子弟のための日本人学校、日加学園では、特別科目という日本の伝統文化を紹介する授業があります。月に一回、クラス毎に、お花、習字、 空手、将棋、凧作りなどしています。平成十四年の九月から八組(十二歳児、教科書「四年の下」使用)で百人一首かるたをすることになりました。

縁あって私がその担当となりましたが、始めるに当たって、金曜日までは現地校で英語と仏語で勉強して、土曜日の日本語学校で日本語に四苦八苦しているのは分っていましたのでとても決まり字を覚えられないでしょうという安易な考えをしていました。しかし思いの外、生徒たちがのめり込みはじめまして、やがて拙宅の地下室でも定期的に練習をするようになりました。

 練習と言いましても、源平戦を主にしていて、私自身も競技かるたをした経験も無く、ネット上で知り得た情報があるだけでした。将来、生徒たちが日本に行き、競技かるたの世界に入門する足掛かりになってくれればという主旨でした。

その頃、かるた界のメーリングリスト「MIKA」で長谷和彦さん(大阪暁会)が私たちの活動振りを紹介して下さったそうで、北米に留学中の方々から連絡が入るようになりました。由井一成さん(早大かるた会)、山本岳さん(東北大かるた会)、小林好真さん(東大かるた会)と相次いで、そして何度も来て下さった過程の中で徐々に源平戦の世界から競技かるたの世界を目指すようになりました。

 また、長谷和彦さんの管理する「みかきもりの本箱」と相互リンクしてました「日加学園かるた同好会」と言う非公式の同好会も平成十六年九月に日加学園公認「トロントたきのおと会」(由井一成さん命名)として正式発足しました。

その数ヶ月前の四月の初め、拙宅の地下にかるた道場も出来上がり、カナダで初めての競技かるたの模範試合が山本岳さんニ由井一成さんで行われました。もしかしましたらこれは北米で初めての模範試合かもしれませんね。

その翌日に私も指導を受け、由井一成さんに定位置表なるものを作っていただきました。その折に「トロントたきのおと会」という名前が、定位置を書き写している私のところへ漏れ聞こえてきました。私は振り向きもせず「良い響きですね」と、お答えしただけだったのですが、後にお聞きしましたところ、私の好きな札が「たき」であったこと、トロントと言えば「ナイヤガラの滝」ということで思い浮かんだそうです。私の方も下の句の「名こそ流れて・・・」に、日本から見れば名前は在っても実体のない弊会に相応しいかなと思いまして由井さんからその名前を頂きました。

そして翌年の平成十七年四月には社団法人全日本かるた協会に加盟し、ますます競技かるたの世界へ進み始めました。

 ところで、海外において活動している中で一番の悩みは、生徒たちに向上心を持続させる事とその指針となるべく参加できる大会がなかったことでした。競技かるたの部がある、かるた大会を開催しましょうと浜場真喜子会長(日加学園校長)と話し合い、諸事情を考え合わせた結果、平成十八年三月二十五日に学園内のカフェテリアにて開催することになりました。

昨今日本では和装化について、いろいろ意見が交わされているようですが、海外における日本の伝統文化の紹介を考えた時にまず和装は必須であると思っていました。只、海外の状況を考えた時に会員に和装で競技をしてもらうには問題が多すぎると、色々な面で自問自答していました。

そんな折、平成十七年一月の「名人位、クイーン位戦」でのインタビューで西郷永世名人が、アナウンサーに促されて袴の下にはいているジャージを見せた瞬間に、和装からユニホームという考え方に変り、それ以後大会寸前まで思考錯誤となりましたが、出来上がりましたジーンズ地の袴と綿の上着を羽織って、たすき掛けの姿は子供たちに自信と誇らしさを持ってもらったのではと思っています。

 また今回は、他校の生徒たちも参加しているとは言え、実質校内大会の呈をなしていました。競技かるたは勿論のこと百人一首の存在すら知らない生徒がほとんどでしたので、平成十八年の一月から二十分の休み時間を利用して、かるた指導の時間をもらい、毎週一クラスずつ指導に当たりました。

そうこうする内に各学年毎の生徒の判断力の違いを私自身が学ぶこととなりました。下は四歳児から上は十四、五歳児までの生徒に一つの種目に参加してもらうのは無理がありますし、源平戦が出来る子を散らし取りに参加させることは出来ないと判断し、最終的に、「競技かるたの部」、「源平戦の部」、「散らし取りの部」と百人一首かるたを紹介する「遊戯かるたの部」と四つの部門に分けることになってしまいました。

また、大会開催に必要な様々な物の調達では日本からも手配の仕方など教えて頂いたり、沢山の助言や迷路に入り込んでしまった時には凝り固まりつつある考えを解きほぐして頂いたりしました。

そのような中で大会一ヶ月前に、トロントに語学留学中の永岡真一さん(さがみ野会)が、特別科目に来て源平戦の審判をしたり、会の練習時に色々と基本の指導をして下さいました。その時に大会では源平戦と散らし取りは、お手つきなしでした方が良いと決めることができ、これは当日の運営をスム[Yにキることェ出来たv因の一つだったと感謝しています。

 いよいよ三月二十五日を迎えました。大会開催には(社)全日本かるた協会の後援を頂き、開会式では伊藤裕之関東支部長の祝辞を披露することが出来ました。

 さて、大会では、出場者全員にたすきをかけてもらいましたが、これはどの子がどの種目に出場しているかすぐに分る様にする為と「遊戯かるたの部」に参加する子供たちの名前を書いたシールを肩に貼るためでした。幼児たちにはその子の名前を呼ぶように担当の先生にお願いしてありました。ところが、このたすきをかけるということが、気を締めると言いますか、大会に出場している自覚を持たせるという思わぬ効用をもたらしたようでした。

私は「散らし取りの部」を受け持ち、詠み手の方から一番離れた所にいました。上の句が詠まれた後で、聞きそびれた子たちに決まり字を繰り返し言いながら、私も一緒に札を探して楽しみました。

 「遊戯かるたの部」では、担当の先生方に大変な思いをさせてしまったようですが、百人一首とかるたの歴史をたどると言いますか、コンセプトを、紙芝居、、拡大版の取り札、五七五七七に分けた和歌の短冊、貝合わせなどを使って遊びながら学びました。難しすぎたのではと言う先生のご意見でしたが、

一人のお母さまより、「息子は、とっても楽しかったと言っていました。紙芝居も、とても効果的だったと思います。とてもわかり易く説明していただきました。たいへんありがとうございました。参加賞のかるた暗記カードは、早速息子と一緒に作りました。今のところ、興味深そうに遊びたがっています」というメールをいただき、総てに報われた気がしました。

また、競技会場の方については、「厳かな雰囲気の中で、子供たちも緊張感と誇らしさと真剣さを体験する事が出来ました。この経験をじっくり味わい、これからに繋げていってくれたらと思います」という、身に余るようなお言葉を頂戴しました。

お蔭様で、大会は成功裏に終えることが出来ました。参加者を始め、ご父母の皆様、運営に協力して下さった先生方も皆それぞれの立場で楽しんで下さったようで、これに勝る喜びはありません。

既に第2回大会は今年の十二月二十八日に日系文化会館で開催する予定で企画は始まっております。開催場所も変わりますので、今回の事を踏まえた上で、競技かるたの部を他の部と切り離して柔道場で開催したいという私のこだわりと、遊戯かるたの部と散らし取りの部は一緒にしても良いのではとか、今回は特別に決まり字付きの取り札を使用しましたが、(子供たちに次回からは標準取り札を使うから少しでも暗記カードで覚えておいてねと、言ってあります)。

でも決まり字付きの札を使って、大会と関係なくチャレンジコーナーのようなものがあっても良いのではとか、様々な考えが頭の中をかけ巡っています。 またまた試行錯誤が始まるようです。諦めずにぼちぼちと歩いて行きましょう。

「正面玄関」にもどる「わが袖は...ボチボチのかるた歴」にもどる