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見わたせば山本霞む水無瀬川ゆふべは秋と何思ひけむ  (巻第一 春歌上36番) 2011/10/25−2013/3/3

 
和歌番号 和歌
0001 み吉野は山も霞て白雪のふりにし里に春は来にけり
みよしのワ やまもかすみて しらゆきの ふりにしさとに はるワきにけり
春が来た、春が来た。山にも里にも春がやってきた。
0002 ほのぼのと春こそ空に来にけらし天の香具山霞たなびく
ほのぼのと はるこそ そらにきにけらし あまのかぐやま かすみたなびく
天の香具山の頂は春らしい空模様になってるなあ。
0003 山深み春とも知らぬ松の戸にたえだえかかる雪の玉水
やまふかみ はるともしらぬ まつのとに たえだえかかる ゆきのたまみず
まだまだ冬だと思っていると、ポタリ、ポタリと落ちる雪解け水がもう春ですよと教えています。
0004 かきくらしなほふるさとの雪のうちに跡こそ見栄ね春は来にけり
かきくらし なおふるさとの ゆきのうちに あとこそみえね はるワきにけり
灰色の空に雪が春の兆しを吹き散らしても、それでも春は来てるのですよ。
0005 けふといへばもろこしまでもゆく春を都にのみと思ひけるかな
きょうといえば もろこしまでも ゆくはるを みやこにのみと おもいけるかな
今日は立春なので、東の和の国から西の唐の国へと行く春を 京にとどめおきたいと思ってしまいますよ。
0006 春といへば霞にけりな昨日まで波間に見えし淡路島山
はるといえば かすみにけりな きのうまで なみまにみえし あわじしまやま
今日は立春なので、かすんでしまったなあ。冬の間は波の間から淡路島が良く見えたのに。
0007 岩間とぢし氷も今朝はとけそめて苔のした水道求むらむ
いわまとじし こおりもけさは とけそめて こけのしたみず みちもとむらん
閉じ込められている間はじっとして要るしかなかったけど、いざ開放されたら何処へ行ったらよいのやら。
0008 風まぜに雪は降りつつしかすがに霞たなびき春は来にけり
かぜまぜに ゆきはふりつつ しかすがに かすみたなびき はるワきにけり
風にまじって雪が降っている。そうはいうものの霞がたなびき春はやってきたわ。
0009 時は今は春になりぬとみ雪降る遠き山辺に霞たなびく
ときワいまワ はるになりぬと みゆきふる とおきやまべに かすみたなびく
時候は今、春になったよと雪が降っている遠い山に霞がたなびいている。
0010 春日野の下もえわたる草の上につれなく見ゆる春の淡雪
かすがのの したもえわたる くさのうえに つれなくみゆる はるのあわゆき
春日野に地中から少し伸びて青ばんでいる草の上に、すぐに解けてしまいそうな春の雪がそ知らぬ顔をしてるようだ。
人知れず思い焦がれているが、知らん振りされているようだ。
0011 あすからは若菜摘まむとしめし野にきのふもけふも雪はふりつつ
あすからワ わかなつまんと しめしのに きのうもきょうも ゆきワふりつつ
明日からは、若菜を摘もうと縄を張って標しをつけておいた野に昨日も今日も雪は降り続いている。
0012 春日野の草はみどりになりにけり若菜摘まむとたれかしめけむ
かすがのの くさワみどりに なりにけり わかなつまんと たれかしめけん
春日野の野はすっかり緑になっている。若菜を摘もうと誰が印をつけたのかなあ。
0013 若菜摘む袖とぞ見ゆる春日野の飛火の野辺の雪のむら消え
わかなつむ そでとぞみゆる かすがのの とぶひののべの ゆきのむらきえ
春日野の飛火野のあたりの雪がムラになって消え残っているのは若菜を摘む人の袖のように見えるよ。
0014 ゆきて見ぬ人もしのべと春の野のかたみに摘める若葉なりけり
ゆきてみぬ ひともしのべと はるののの かたみにつめる わかばなりけり
野にやって来て見ていない人にも思いやって、春の野を思い出すものとしてカゴに摘める若葉です。
0015 沢に生ふる若葉ならねどいたづらに年をつむにも袖は濡れけり
さわにおうる わかばならねど いたづらに としをつむにも そでワぬれけり
沢に生えている若葉を摘むのではないが、かまってくれる人もなく歳を老いるにつけ袖は沢の水ならぬ涙でぬれることよ。
0016 さざ波や滋賀の浜松ふりにけりたが代に引ける子の日なるらむ
さざなみや しがのはままつ ふりにけり たがよにひける ねのひなるらん
滋賀の浜辺の松は老木となってしまったなあ。いつの御代に引いた子の日の松が根付いたものなんだろう。
0017 谷川のうち出づる波も声立てつ鶯さそへ春の山風
たにがわの うちいづるなみも こえたてつ うぐいすさそえ はるのやまかぜ
谷川の氷も割れてきて打ち出る波も春らしい声だ。山風よその春が来たと鶯に伝えておくれ。
0018 鶯の鳴けどもいまだ降る雪に杉の葉白き逢坂の山
うぐいすの なけどもいまだ ふるゆきに すぎのはしろき おおさかのやま
鶯は鳴いているけど、まだ降っている雪のために緑の杉の葉が白くなっている逢坂の山よ。
0019 春来ては花とも見よ片岡の松の上葉に淡雪ぞ降る
はるきてワ はなともみよ かたおかの まつのうわばに あわゆきぞふる
もう春が来たんだから、花として見ようよ。片岡の松の上葉にやわらかで消えやすい雪ががふっている。
0020 巻向の檜原のいまだ曇らねば小松が原に淡雪ぞ降る
まきもくの ひばらのいまだ くもらねば こまつがはらに あわゆきぞふる
遠くの巻向の檜が生えている原はまだ曇ってないけど近くの小松が生えている原では淡雪が降っている。
0021 今さらに雪降らめやもかげろふのもゆる春日になりにしものを
いまさらに ゆきふらめやも かげろふの もゆるはるひに なりにしものを
陽炎のもえる春の日になったのだから、今更雪が降ったりしないでしょう。
0022 いづれをか花とはわかむ古里の春日の原にまだ消えぬ雪
いづれをか はなとワわかむ ふるさとの かすがのはらに まだきえぬゆき
古都の春日の原にまだ消えないで残っている雪だけど、どれを白梅の花、どれを雪と見分けましょうか。
0023 空はなほ霞もやらず風さえて雪げに曇る春の夜の月
そらワなお かすみもやらず かぜさえて ゆきげにくもる はるのよのつき
空はまだすっかり霞んでなくて、風は冷たくふいている。雪が降りそうな雲行きの春の夜の月です。
0024 山深みなほ影寒し春の月空かき曇り雪は降りつつ
やまふかみ なおかげさむし はるのつき そらかきくもり ゆきワふりつつ
山々に囲まれてるので、まだまだ澄み切った寒々しい春の月のひかり。見ている間にも空は曇り始めまた雪がふっているよ。
0025 三島江や霜もまだひぬ葦の葉に角ぐむほどの春風ぞ吹く
みしまえや しももまだひぬ あしのはに かどぐむほどの はるかぜぞふく
三島江に、霜もまだ乾かない葦の葉に芽が出てくるのかなと思わせるような春の風がふいている。
0026 夕月夜潮みちくらし難波江の葦の若葉に越ゆる白波
ゆうづきよ しおみちくらし なにわえの あしのわかばに こゆるしらなみ 
夕方の空に上弦の月が見えているので潮が満ちて来ているようだ。なにわえの葦の若葉に白波が超えてくる。
0027 降りつみし高嶺のみ雪とけにけり清滝川の水の白波
ふりつみし たかねのみゆき とけにけり きよたきがわの みずのしらなみ
深く降り積もっていた高嶺の雪がとけてしまったのだな。清滝川の水が増量して白波を立てて流れている。
0028 梅が枝にものうきほどに散る雪を花ともいはじ春の名だてに
うめがえに ものうきほどに ちるゆきを はなともいわじ はるのなだてに
梅の枝にうんざりするくらい降る雪を花のようだとは言いたくない。春と言うイメージの為にも。
0029 あづさ弓はる山ちかく家居してたえず聞きつる鶯の声
あづさゆみ はるやまちかく いえいして たえずききつる うぐいすのこえ
山の近くに住んでいるので春になると鶯の声を始終聞いているよ。
0030 梅が枝に鳴きてうつろふ鶯の羽白たへに淡雪ぞふる
うめがえに なきてうつろう うぐいすの はねしろたえに あわゆきぞふる
梅の枝に鳴きながら飛び移っていく鶯の羽にも白くして淡雪が降っている。
0031 鶯の涙のつららうちとけて古巣ながらや春を知るらむ
うぐいすの なみだのつらら うちとけて ふるすながらや はるをしるらん
凍っていた鶯の涙もとけてきて、古巣にいるが春がやって来たと分かったようだ。
0032 岩そそく垂水の上のさわらびの萌えいづる春になりにけるかな
いわそそぐ たるみのうえの さわらびの もえいずるはるに なりにけるかな
岩に打ち当りながら流れ落ちる滝のそばの蕨が萌え出している春になりました。
0033 天の原富士のけぶりの春の色の霞になびくあけぼのの空
あまのはら ふじのけむりの はるのいろの かすみにたなびく あけぼののそら
曙の空に富士から立ち昇る煙が春の色の浅緑の霞となってたなびいている。
0034 朝霞深く見ゆるやけぶり立つ室の八島のわたりなるらむ
あさがすみ ふかくみゆるや けむりたつ むろのやしまの わたりなるらん
朝霞が深く立ち込めているように見えるのは水分が煙のように立ち昇る下野の国の室の八島のあたりでしょうか。
0035 なごの海の霞のまよりながむれば入る日を洗ふ沖つ白波
なごのうみの かすみのまより ながむれば いるひをあらう おきつしらなみ
摂津のなごの海の霞の間より眺めると、沈もうとしている陽を沖の白波が洗っているよ。
0036 見わたせば山本かすむ水無瀬川ゆふべは秋と何思ひけむ
みわたせば やまもとかすむ みなせがわ ゆうべはあきと なにおもいけん
見わたすと山の麓は霞んで水無瀬川が流れている。「秋は夕暮れ(清少納言)」に夕暮れの趣は秋に限ると思い込んでいたなあ。
0037 霞立つ末の松山ほのぼのと波に離るる横雲の空
かすみたつ すえのまつやま ほのぼのと なみにはなるる よこぐものそら
霞がたなびく末の松山がぼんやりと見え、ぼんやりとした水平線から横雲がはなれていく。
0038 春の夜の夢の浮橋とだえして峰に別るる横雲の空
はるのよの ゆめのうきはし とだえして みねにわかるる よこぐものそら
春の夜に不安定な橋のような夢がとだえて、峰に横雲がが別れてゆく曙の空。
0039 知るらめや霞の空を眺めつつ花もにほはぬ春を嘆くと
しるらめや かすみのそらを ながめつつ はなもにおわぬ はるをなげくと
梅の花さん、聞こえますか。霞んでいる空を眺めながら あなたが匂わない春を嘆いているのを。
0040 大空は梅のにほひに霞つつ曇りもはてぬ春の夜の月
おおぞらワ うめのにおいに かすみつつ くもりもはてぬ はるのよのつき
大空は梅香にあふれて霞んでいるが、曇りきってもいなくて春の夜に朧月が出ている。
0041 折られけりくれなゐにほふ梅の花けさ白たへに雪は降れれど
おられけり くれないにおう うめのはな けさしろたえに ゆきワふれれど
雪中の白梅は折りにくいけど、折れたよ、紅色の梅の花を、雪は降ってるんだけど…。
0042 あるじをばたれとも分かず春はただ垣根の梅を尋ねてぞ見る
あるじをば だれともわかず はるはただ かきねのうめを たずねてぞみる
貴賎を問わず誰のところへも春はやってくるよ。春になればただ垣根に咲いている梅を見に行ってみよう。
0043 心あらば問はましものを梅が香にたが里よりかにほひ来つらむ
こころあらば とわましものを うめがかに たがさとよりか においきつらん
梅に聞けるものなら聞いてみたいものです。いったいどなたが住んでいる所から香りを運んで来たのでしょう。
0044 梅の花にほひをうつす袖の上に軒もる月の影ぞあらそふ
うめのはな においをうつす そでのうえに のきもるつきの かげぞあらそう
私の袖の上で、梅の香りと、軒からもれる月の光が競い合ってます。
0045 梅が香に昔を問へば春の月答へぬ影ぞ袖にうつれる
うめがかに むかしをとえば はるのつき こたえぬかげぞ そでにうつれる
梅の香りに誘われて懐かしいこと思い出しても春の月はただ黙って涙に濡れた袖を照らしてます
0046 梅の花たが袖ふれしにほひぞと春や昔の月に問はばや
うめのはな たがそでふれし においぞと はるやむかしの つきにとわばや
この梅の花の香りは、誰の袖が触れて、その移り香がしみついたのかな、ずっと変わらず照らし続けている春の月に尋ねたいものです。
0047 梅の花あかぬ色香も昔にておなじ形見の春の夜の月
うめのはな あかぬいろかも むかしにて おなじかたみの はるのよのつき
梅の花も月の明かりも昔のままで、いくら眺めてもかいでも飽きることなく、また春の月も同じですね。
0048 見ぬ人によそへて見つる梅の花散りなむのちのなぐさめぞなき
みぬひとに よそえてみつる うめのはな ちりなんのちの なぐさめぞなき
最近お会いしない人になぞらえて見続けていた梅の花。その梅の花が散った後はなぐさめとするものがありません。
0049 春ごとに心をしむる花の枝にたがなほざりの袖かふれつる
はるごとに こころをしむる はなのえに たがなおざりの そでかふれつる
春が来るたびに深く感じる梅の枝に誰がいいかげんな袖をふれて、移り香を染み込ませたのでしょう。
0050 梅散らす風も越えてや吹きつらむかをれる雪の袖に乱るる
うめちらす かぜもこえてや ふきつらん かおれるゆきの そでにみだるる
梅を散らす風が頭上を越えて吹き抜けたのかな。香れる雪が袖に乱れ落ちるよ。
0051 尋め来かし梅盛りなるわが宿をうときも人は折りにこそよれ
とめこかし うめさかりなる わがやどを うときもひとは おりにこそよれ
梅も盛りの今の季節のおりに、ご無沙汰してる人も梅を折りに尋ねてきてください。
0052 ながめつるけふは昔になりぬとも軒端の梅はわれを忘るな
ながめつる きょうワむかしに なりぬれど のきばのうめワ われをわするな
あれこれ考えながら眺めている今日が昔のことになっても軒先近くに咲いている梅は私のことをずっと忘れないでね。
0053 散りぬればにほひばかりを梅の花ありとや袖に春風の吹く
ちりぬれば においばかりを うめのはな ありとやそでに はるかぜのふく
もう梅の花は散ってしまって匂いだけが袖に残っているけど、まだ咲いていると勘違いして袖に春風が吹いているよ。
0054 ひとりのみながめて散りぬ梅の花知るばかりなる人は問ひ来ず
ひとりのみ ながめてちりぬ うめのはな しるばかりなる ひとワといこず
一人でじっと物思いにふけりながら梅の花を見ていたら散ってしまいました。趣を理解してくれる人は誰も来なかったんです。
0055 照りもせず曇りはてぬ春の夜のおぼろ月夜にしくものぞなき
てりもせず くもりもはてぬ はるのよの おぼろつきよに しくものぞなき
煌々と照っているでもなく、さりとて曇ってしまっているでもない春の夜のおぼろ月に勝るものはないです。
0056 あさみどり花もひとつに霞つつおぼろに見ゆる春の夜の月
あさみどり はなもひとつに かすみつつ おぼろにみゆる はるのよのつき
秋の月も良いけれど、浅緑色の霞と花も一つになって、霞んでおぼろに見える春の夜の月も良いもんです。
0057 難波潟霞まぬ波も霞けりうつるも曇るおぼろ月夜に
なにわがた かすまぬなみも かすみけり うつるもくもる おぼろつきよに
難波潟では、霞むことのない波も霞んでいます。波にうつっても霞んで見えるおぼろ月夜のために。
0058 今はとてたのむの雁もうちわびぬおぼろ月夜のあけぼのの空
いまワとて たのむのかりも うちわびぬ おぼろづきよの あけぼののそら
今は帰る時が来たと、田の面の雁も とっても侘しく思って鳴いています。朧月夜の見える曙の空に。
0059 聞く人ぞ涙は落つる帰る雁鳴きてゆくなるあけぼのの空
きくひとぞ なみだはおつる かえるかり なきてゆくなる あけぼののそら
曙の空を鳴きながら北へ帰っていく雁の、その声を聞く人のほうが涙をこぼしてしまいます。
0060 古里に帰る雁がねさ夜ふけて雲路にまよふ声聞こゆなり
ふるさとに かえるかりがね さよふけて くもじにまよう こえきこゆなり
故郷の北国に帰る雁の鳴き音は、夜更けに雲の中の道に迷って鳴いているんでしょうか聞こえてきますよ。
0061 忘するなよたのむの沢を立つ雁も稲葉の風の秋の夕暮れ
わするなよ たのむのさわを たつかりも いなばのかぜの あきのゆうぐれ
わすれないでね、田の面の沢を飛び立って北国に帰る雁も稲葉に風がふいている秋の夕暮れのことを。頼むよ。
0062 帰る雁今はの心有明に月と花との名こそ惜しけれ
かえるかり いまワのこころ ありあけに つきとはなとの なこそおしけれ
北に帰る雁が今旅だちの時という気持ちだけど、それを止められない有明の月も花もその評判が落ちるのが惜しいよ。
0063 霜まよふ空にしをれし雁がねの帰るつばさに春雨ぞ降る
しもまよう そらにしおれし かりがねの かえるつばさに はるさめぞふる
霜がたくさんおりている雲路に羽のしおれた雁が北国に帰っていくが、その羽に春雨がふっているよ。
0064 つくづくと春の眺めのさびしきはしのぶに伝う軒の玉水
つくづくと はるのながめの さびしきワ しのぶにつたう のきのたまみず
ぼんやりと春の長雨を見ているとさびしく思うのは、軒端につたう忍草をつたって雨のしずくの玉が滴り落ちるのを眺めていることだ。
0065 水の面にあや織りみだる春雨や山のみどりをなべて染むらむ
みずのおもに あやおりみだる はるさめや やまのみどりを なべてそむらん
池の水面にあや織りを一面に織り成している春雨が山の緑を一面にさらに美しく染めている。
0066 ときはなる山の岩根にむす苔の染めぬみどりに春雨ぞ降る
ときわなる やまのいわねに むすこけの そめぬみどりに はるさめぞふる
ずっと変わらない山のずっとある岩にむす苔の緑は自分が染めていると言わんばかりに春雨が降っている。
0067 雨降れば小田のますらをいとまあれや苗代水を空にまかせて
あめふれば おだのますらお いとまあれや なえしろみずを そらにまかせて
雨が降っているので苗代に水をやるのを空に撒かせて任せている農夫は暇なんだろうか。
0068 春雨の降りそめしより青柳の糸のみどりぞ色まさりける
はるさめの ふりそめしより あおやぎの いとのみどりぞ いろまさりける
春雨が降り始めてから雨に染められて青柳の緑がますます色濃くなってきた。
0069 うちなびき春は来にけり青柳の陰踏む道に人のやすらふ
うちなびき はるワきにけり あおやぎの かげふむみちに ひとのやすらう
春がやってきた。青柳がつくる葉陰のしたを行き来する道に人が座って休んでいる。
0070 み吉野の大川の辺の古柳蔭こそ見えね春めきにけり
みよしのの おおかわのへの ふるやなぎ かげこそみえね はるめきにけり
吉野の大川のほとりの古木の柳の葉はまだ陰をつくるほどではないけれど芽吹いてるので春になって来ているのだな。
0071 あらし吹く岸の柳の稲筵おりしく波にまかせてぞ見る
あらしふく きしのやなぎの いなむしろ おりしくなみに まかせてぞみる
強風に岸辺の柳の葉が川面に浸かってる様が、稲筵のように織られて敷いたよう。寄せては返す波にまかせたままを見るよ。
0072 高瀬さす六田の淀の柳原みどりも深く霞む春かな
たかせさす むつたのよどの やなぎはら みどりもふかく かすむはるかな
浅瀬に舟が棹をさしてるよ。その六田の淀の柳原は、緑も深くなってきたし、深く霞んでいる春だな。
0073 春風の霞吹きとく絶えまより乱れてなびく青柳の糸
はるかぜの かすみふきとく たえまより みだれてなびく あおやぎのいと
春風が吹いて霞みのころもの縫い目をほどいて、解け目からみだれてなびいている青柳の糸。
0074 白雲の絶えまになびく青柳の葛城山に春風ぞ吹く
しらくもの たえまになびく あおやぎの かつらぎやまに はるかぜぞふく
白雲の切れている間から青柳がたなびいている、柳を鬘にするという葛城山に春風が吹いているのだ。
0075 青柳の糸に玉ぬく白露の知らず幾代の春か経ぬらむ
あおやぎの いとにたまぬく しらつゆの しらずいくよの はるかへぬらん
青柳の糸に通した白露、私は知らないけれど、幾代にわたって春が過ぎてきたのか、そして過ぎていくのか。
0076 薄く濃き野辺のみどりの若草に跡まで見ゆる雪のむら消え
うすくこき のべのみどりの わかくさに あとまでみゆる ゆきのむらきえ
野辺の草木の濃淡を見ていると、雪が残っている所と消えた所が良く分かるよ。
0077 荒小田の去年の古跡の古よもぎ今は春べとひこばえにけり
あらおだの こぞのふるあとの ふるよもぎ いまワはるべと ひこばえにけり
冬の間耕作してなかったので去年の古い蓬の枯れたままの田に春がやって来たと新しい芽が出てきたよ。
0078 焼かずとも草は萌えなむ春日野をただ春の日にまかせたらなむ
やかずとも くさワもえなん かすがのを ただはるのひに まかせたらなん
春日野は春の日の野なんですから、焼かなくても草は萌えてくるでしょう。春の日に任せるだけで十分と思います。
0079 吉野山さくらが枝に雪散りて花遅げなる年にもあるかな
よしのやま さくらがえだに ゆきちりて はなおそげなる としにもあるかな
吉野山の桜の枝に雪が散っているから今年は花の咲くのも遅いのかなあ。
0080 桜花咲かばまづ見むと思うままに日数経にけり春の山里
さくらばな さかばまずみんと おもうままに ひかずへにけり はるのやまざと
桜が咲いたらすぐに見に行こうと思ってるうちに日にちばかり過ぎていってしまった。春の山里ではまだ咲いてるかなあ。
0081 わが心春の山辺にあくがれてながながし日をけふも暮らしつつ
わがこころ はるのやまべに あくがれて ながながし日を きょうもくらしつつ
私の心は、春の山辺に夢中になって、長〜い春の日を今日も過ごしているよ。
0082 思ふどちそことも知らず行き暮れぬ花の宿貸せ野辺の鶯
おもうどち そこともしらず ゆきくれぬ はなのやどかせ のべのうぐいす
親しい仲間たちと一緒に、行く宛ても決めずに散策してたら日が暮れてしまった。鶯さん、あなたの花のお宿を貸してください。
0083 いま桜咲きぬと見えて薄曇り春に霞める世のけしきかな
いまさくら さきぬとみえて うすぐもり はるにかすめる よのけしきかな
今桜は咲いたようなんですね。空は薄曇りしていて春らしく霞んでいる世の中の眺め。
0084 臥して思ひ起きてながむる春雨に花の下紐いかに解くらむ
ふしておもい おきてながむる はるさめに はなのしたびも いかにとくらん
寝ては思い、起きては眺めている春雨ですが、その春雨に花はどのように気を許してほころんでくれるのでしょう。
0085 行かむ人来む人しのべ春霞立田の山の初さくら花
いかんひと こんひとしのべ はるがすみ たつたのやまの はつさくらばな
行く人も来る人も賞美して。春霞がたつ立田山に今年初めて咲いた桜の花を。
0086 吉野山こぞのしをりの道変へてまだ見ぬ方の花を尋ねむ
よしのやま こぞのしおりの みちかえて まだみぬかたの はなをたずねん
吉野山で去年枝折りをして目印をつけておいた道を変更して、まだ行ったことない方の道を進んで花を尋ねましょう。
0087 葛城や高間の桜咲きにけり立田の奥にかかる白雲
かづらきや たかまのさくら さきにけり たつたのおくに かかるしらくも
葛城連山の高間山(金剛山)に桜が咲いた。だって立田山の奥に桜花が白雲のようにかかっているもの。
0088 いそのかみ古き都を来て見れば昔かざしし花咲きにけり
いそのかみ ふるきみやこを きてみれば むかしかざしし はなさきにけり
古き奈良の都に来て見たら、若かった頃によく髪に飾した花が咲いています。
0089 春にのみ年はあらなむ荒小田をかへすがへすも花を見るべく
はるにのみ としワあらなん あらおだを かえすがえすも はなをみるべく
一年中春だったら良いのになあ。荒田をくりかえし耕してくりかえし花を見られるようにね。
0090 白雲の立田の山の八重桜いづれを花と分きて折りけむ
しらくもの たつたのやまの やえざくら いずれをはなと わきておりけん
白雲のたなびく立田山の八重桜。見分けづらい中から、この花の枝を選んで折ったのか、お分かりでしょうか。
0091 白雲の春は重ねて立田山をぐらの峰に花にほふらし
しらくもの はるワかさねて たつたやま おぐらのみねに はなにおうらし
春になると白雲と白雲のような桜とかさなる立田山。立田山の小椋の峰に花が美しく咲き誇っているのでしょう。
0092 吉野山花やさかりににほふらむ古里さえぬ峰の白雲
よしのやま はなやさかりに におうらん ふるさとさえぬ みねのしらくも
吉野山は花が満開となって美しく又芳しいのでしょうね。吉野の古里は暖かく峰の白雲は桜と見間違うばかりです。
0093 岩根踏み重なる山を分けすてて花も幾重のあとの白雲
いわねふみ かさなるやまを わけすてて はなもいくえの あとのしらくも
岩を踏み、幾つもの山を分け入っては後にして来たが、幾重の花も後にして振り返ってみると幾重もの白雲のようです。
0094 尋ね来て花にくらせる木の間より待つとしもなき山の端の月
たずねきて はなにくらせる このまより まつとしもなき やまのはのつき
花を見ようとやって来て、一日ぼ〜っと過ごしていたら、思いもよらず山から月が上がってきたのが木の間から見えました。オッー。
0095 散り散らず人も尋ねぬ古里の露けき花に春風ぞ吹く
ちりちらず ひともたずねぬ ふるさとの つゆけきはなに はるかぜぞふく
散ったのかまだ散ってないのか人も花見に来ないので分からない。その古里に咲く露がいっぱいの花にも春風は訪れているでしょう。
0096 石上布留野のさくら誰植ゑて春は忘れぬ形見なるらむ
いそのかみ ふるののさくら たれうえて はるワわすれぬ かたみなるらん
布留野の桜は誰が植えたんでしょうね。春になると必ず咲いて、昔をしのぶものになってます。
0097 花ぞ見る道の芝草踏み分けて吉野の宮の春のあけぼの
はなぞみる みちのしばくさ ふみわけて よしののみやの はるのあけぼの
朝がしらじら明ける頃、荒廃した芝草を踏み分けて吉野の宮に来てみると、花が咲いているのをみつけました。
0098 朝日影にほえる山の桜花つれなく消えぬ雪かとぞ見る
あさひかげ におえるやまの さくらばな つれなくきえぬ ゆきかとぞみる
朝日が差す山に美しく咲く桜の花は、日の光を気に留めることなく消えない雪のように見えます。


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