正面玄関 || 古典



瀬をはやみ岩にせかるゝ滝川のわれてすゑにもあはんとぞ思ふ   (詞花集恋上229)   2017/7/7
                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                         
和歌番号 和歌
巻第一 春
001 こほりゐし志賀の唐崎うちとけてさゞ波よする春風ぞふく
こおりいし しがのからさき うちとけて さざなみよする はるかぜぞふく
氷が張りつめていた滋賀の唐崎はすっかり氷も解けて、さざ波をうち寄せる春風が吹いてます。
002 きのふかもあられふりしは信楽の外山のかすみ春めきにけり
きのうかも あられふりしワ しがらきの とやまのかすみ はるめきにけり
昨日じゃなかったのかな、あられが降ったのは。それなのに今日はもう信楽の里に近い山に霞がかかって春めいています。
003 ふるさとは春めきにけりみ吉野の御垣が原をかすみこめたり
ふるさとワ はるめきにけり みよしのの みかきがはらを かすみこめたり
古里の奈良の都はすっかり春めいています。それもそのはず深山の吉野の御垣が原にも霞が立ちこめていました。
004 たまさかにわが待ちえたるうぐひすの初音をあやな人やきくらむ
たまさかに わがまちえたる うぐいすの はつねをあやな ひとやきくらん
偶然にも待ちに待っていた鶯の今年初めての鳴き声を聞いたが、特別待ってもいなかった人も聞いたとしたら筋が通りませんよね。
005 雪きえばゑぐの若葉もつむべきに春さへはれぬ深山辺の里
ゆききえば えぐのわかばも つむべきに はるさえはれぬ みやまべのさと
雪さえ消えてくれれば、えぐの若菜も摘むことが出来るのに、春であるにもかかわらず雪の降る深山の近くの里です。
006 春日野に朝なく雉のはねをとは雪のきえまに若菜つめとや
かすがのに あさなくきじの はねおとワ ゆきのきえまに わかなつめとや
春日野で朝に鳴いている雉の羽音は、雪が解けている箇所で若菜を摘みなさいと言ってるのでしょうか。
007 万代のためしに君は引かるれば子の日の松もうらやみやせむ
よろずよの ためしにきみワ ひかるれば ねのひのまつも うらやみやせん
万代までも生きる前例としてあなたが引かれると、子の日の松も自分のお株を奪われたと思ってあなたを羨むでしょうか。
008 吹きくれば香をなつかしみ梅の花ちらさぬほどの春風もがな
ふきくれば かをなつかしみ うめのはな ちらさぬほどの はるかぜもがな
風が吹くと梅の花の香が運ばれ来て心がひきつけられるので、花を散らしていく風も散らさない程度の春風があったらなあ。
009 梅の花にほひを道のしるべにてあるじもしらぬ宿に来にけり
うめのはな においをみちの しるべにて あるじもしらぬ やどにきにけり
梅の花の香りを道案内として、誰の家とも知らない家屋に来てしまいました。
010 真菰草つのぐみわたる沢辺にはつながぬ駒もはなれざりけり
まこもぐさ つのぐみわたる さわべにワ つながぬこまも はなれざりけり
真菰草の角のように芽が出始めた水辺では、放牧している馬も他所へ散ってしまわないのですね。
011 萌えいづる草葉のみかは小笠原駒のけしきも春めきにけり
もえいずる くさばのみかは おがさわら こまのけしきも はるめきにけり
萌え出る草葉だけでなく、小笠原の牧に馬も放たれて、すっかり春らしくなったものです。
012 佐保姫の糸そめかくる青柳をふきなみだりそ春のやまかぜ
さほひめの いとそめかくる あおやぎを ふきなみだりそ はるのやまかぜ
春の女神である佐保姫が染めて懸けている青い糸を吹き乱れさせないで春の山風よ。
013 いかなればこほりはとくる春風にむすぼゝるらむ青柳の糸
いかなれば こおりはとくる はるかぜに むすぼほるらん あおやぎのいと
どういうわけで、春風によって氷は解けるのに、固く閉ざしたままなんでしょう青柳の糸は。
014 ふるさとの御垣の柳はるゞとたが染めかけしあさみどりぞも
ふるさとの みかきのやなぎ はるばると たがそめかけし あさみどりぞも
奈良の都の御垣に沿って列植えされていた柳は、遥々と続いているが、一体誰が染めかけた浅緑の糸なんでしょう。
015 深山木のそのこずゑともみえざりしさくらは花にあらはれにけり
みやまぎの そのこずえとも みえざりし さくらワはなに あらわれにけり
深山の木々に埋もれて、桜の梢とも見えなかったのに、桜は咲いてその姿をあらわしたことだ。
016 くれなゐの薄花ざくらにほはずはみな白雲とみてや過ぎまし
くれないの うすはなざくら におわずば みなしらくもと みてやすぎまし 
薄紅の桜がもし薫らなかったら、どれもこれも一面白雲と見なして桜と気付かずに通り過ぎてしまっただろうに。
017 白雲はたちへだつれどくれなゐの薄花ざくらこゝろにぞ染む
しらくもは、 たちへだつれど くれないの うすはなざくら こころにぞしむ
白雲は桜との境目を分からなくしてしまっているが、薄紅の桜「紅の薄花桜」は、私の心に深く染みとおりましたよ。
018 白雲はさも立たばたてくれなゐのいまひとしほを君し染むれば
しらくもワ さもたたばたて くれないの いまひとしほを きみしそむれば
白雲は、こうなったら立つのであれば立ってよい。 たとえ邪魔されようともあなたが「紅の薄花桜」をいっそう色濃く染めてくれたので。
019 朝まだきかすみなこめそ山ざくらたづねゆくまのよそめにもみむ
あさまだき かすみなこめそ やまざくら たづねゆくまの よそめにもみん
朝早くから霞は山桜を隠さないで。桜を求めていく途中の遠い所からも見たいのですから。
020 白雲とみゆるにしるしみよし野の吉野の山の花ざかりかも
しらくもと みゆるにしるし みよしのの よしののやまの はなざかりかも 
白雲だと見えることでそうだということが分かる。あれが吉野の山の花盛りだからだろう。
021 山ざくらおしむにとまるものならば花は春ともかぎらざらまし
やまざくら おしむにとまる ものならば はなワはるとも かぎらざらまし
もし惜しむことで山の桜が散らずに留まるものであるなら、桜の花は春のものとは限らないであろうが。
022 九重にたつ白雲とみえつるは大内山のさくらなりけり
ここのえに たつしらくもと みえつるワ おおうちやまの さくらなりけり
宮中に幾重にも重なって立っている白雲と見えたのは、実は大内山の桜だったのですね。
023 春ごとにこゝろをそらになすものは雲ゐにみゆるさくらなりけり
はるごとに こころをそらに なすものワ くもいにみゆる さくらなりけり
春が来るたびに心が落ち着かなくなるが、そうさせるのは、はるか遠く空高く咲く桜だったのですね。
024 白河の春のこずゑをみわたせば松こそ花の絶え間なりけれ
しらかわの はるのこずえを みわたせば まつこそはなの たえまなりけれ
白河の春の梢を見わたすと、花一面の中で松の常緑が花を途絶えせているのですね。
025 春くれば花のこずゑに誘はれていたらぬ里のなかりつるかな
はるくれば はなのこずえに さそわれて いたらぬさとの なかりつるかな
春が来ると、花の咲いた桜の梢に誘われて至る所を訪ねていたら、訪れない里はなくなってしまったことです。
026 池水のみぎはならずはさくらばな影をも波におられましやは
いけみずの みぎわならずワ さくらばな かげをもなみに おられましやワ
池の水際に桜の木がなかったら、桜の花の影さえも波に折られなかったでしょうに。
027 いにしへの奈良のみやこの八重ざくらけふ九重ににほひつるかな 
いにしえの ならのみやこの やえざくら きょうここのえに においつるかな
昔の都である奈良の都からの八重桜が今日は新しい都である九重で咲きほっています。
028 ふるさとにとふ人あらば山ざくら散りなむのちを待てとこたへよ
ふるさとに とうひとあらば やまざくら ちりなんのちを まてとこたえよ
故郷で私のことを尋ねる人がいたら、山桜が散った後まで待てと答えてください。散るまでは帰りませんから。
029 桜花てごとにおりて帰るをば春の行くとや人はみるらむ
さくらばな てごとにおりて かえるをば はるのいくとや ひとワみるらん
桜の花を皆がそれぞれ折って手に持ち帰るのを、人々はそれを見て春が行くと思うのでしょうか。
030 春ごとにみる花なれど今年より咲きはじめたる心ちこそすれ
はるごとに みるはななれど ことしより さきはじめたる ここちこそすれ
毎年春になると見る同じ花なのに今年から咲き始めたように思う気がします。
031 ふるさとの花のにほひやまさるらんしづ心なく帰る雁かな
ふるさとの はなのにおいや まさるらん しずこころなく かえるかりかな
故郷の花の美しさの方が此処の花より勝っているのでしょうか。慌ただしく北へ帰っていく雁ですよ。
032 なかヽに散るをみじとや思ふらん花のさかりに帰るかりがね
なかなかに ちるをみじとや おもうらん はなのさかりに かえるかりがね
むしろ散っていく花を見るまいと思っているのでしょうか。花の盛りの時に北へ帰って行く雁よ。
033 桜花ちらさで千世もみてしがなあかぬこゝろはさてもありやと
さくらばな ちらさでちよも みてしがな あかぬこころワ さてもありやと
桜の花を散らさないで千年の間もずっと見ていたいものです。それでも飽きないと思う心が有るのか無いのか試してみたいので。
034 桜花かぜにし散らぬものならば思ふことなき春にぞあらまし
さくらばな かぜにしちらぬ ものならば おもうことなき はるにぞあらまし
桜の花が風に散らないものだったら、春という季節は何の心配事もない、物思いしない時でしょう。
035 桜花ちりしく庭をはらはねば消えせぬ雪となりにけるかな
さくらばな ちりしくにわを はらわねば きえせぬゆきと なりにけるかな
桜の花が絶え間なく散る庭を掃わないでいたので、積もり積もって消えることのない雪となってしまったのですね。
036 掃く人もなきふるさとの庭の面は花ちりてこそみるべかりけれ
はくひとも なきふるさとの にわのもワ はなちりてこそ みるべかりけれ
掃き清める人もいない、昔通っていた家の庭の地面は、花が散り積もってからこそ見るのが良いと教えてくれてます。
037 桜さく木の下水はあさけれど散りしく花の淵とこそなれ
さくらさく このしたみずワ あさけれど ちりしくはなの ふちとこそなれ
桜の花が咲いている木の下を流れる川は浅いけれど、花が散り積もって淵となっていますね。
038 散る花もあはれとみずや石の上ふりはつるまでおしむこゝろを
ちるはなも あわれとみずや いしのかみ ふりはつるまで おしむこころを
散る花もかわいそうだなと思うでしょう。老いてしまってまでも桜の花が散り終えるまで惜しんでいるその心を。
039 我が宿の桜なれども散るときは心にえこそまかせざりけれ
わがやどの さくらなれども ちるときワ こころにえこそ まかせざりけれ
我が家の桜であっても散る時は思い通りにはならないもんですね。
040 身にかへて惜しむにとまる花ならばけふや我が世もかぎりならまし
みにかえて おしむにとまる はなならば きょうやわがよも かぎりならまし
もし我が身と引き換えにして惜しんだら散らずに留まる花なのだったら、花が散る今日は我が身の最後の日となるのでしょうか。
041 庭もせに積もれる雪と見えながらかをるぞ花のしるしなりける
にわもせに つもれるゆきと みえながら かおるぞはなの しるしなりける
庭も狭しと降り積もっている雪だと目に見えて分かってるのですが、香ることが花であるということなんですね。
042 散る花にせきとめらるゝ山川のふかくも春のなりにけるかな
ちるはなに せきとめらるる やまがわの ふかくもはるの なりにけるかな
散る花に堰きとめられて山の川の流れも深くなるように、春も深くなってきました。
043 一重だにあかぬにほひをいとゞしく八重かさなれる山吹の花
ひとえだに あかぬにおいを いとどしく やえかさなれる やまぶきのはな
一重であっても見飽きない美しさなのに、さらにいっそう八重も重なる八重山吹の花の美しさよ。
044 八重咲けるかひこそなけれ山吹の散らば一重もあらじと思へば
やえさける かいこそなけれ やまぶきの ちらばひとえも あらじとおもえば
八重に咲いても報われないなあ。八重の山吹も散ってしまえば一重も残らないのだからと思うと。
045 こぬ人をまちかねやまの呼子鳥おなじ心にあはれとぞ聞く
こぬひとを まちかねやまの よぶこどり おなじこころに あわれとぞきく
来ない人を待ちかねて呼ぶ、待兼山の呼子鳥の鳴き声を同じ思いの私は愛おしく聞いてます。
046 咲きしより散りはつるまで見しほどに花のもとにて二十日経にけり
さきしより ちりはつるまで みしほどに はなのもとにて はつかへにけり
牡丹の花を咲き始めた時から散ってしまうまで見ていたら、花の元で20日ほども経ていたなあ。
047 老いてこそ春の惜しさはまさりけれいま幾度も逢はじと思えば
おいてこそ はるのおしさワ まさりけれ いまいくたびも あわじとおもえば
年老いてからの方が、春が去るのをより惜しむようになるようだ。あと何度も春と巡り会わないと思うと。
048 惜しむとて今宵かきおく言の葉やあやなく春のかたみなるべき
おしむとて こよいかきおく ことのはや あやなくはるの かたみなるべき
春を惜しむということを今宵書きおく言葉が、無意味であって春の思い出となるのだろうか。
巻第二 夏
049 けふよりはたつ夏衣うすくともあつしとのみや思ひわたらむ
きょうよりワ たつなつごろも うすくとも あつしとのみや おもいわたらむ
4月1日の今日から夏となり、仕立てて着る夏の衣が薄くても、これからずっと暑いと思い続けるのでしょうか。
050 雪のいろをぬすみてさける卯の花をさえでや人にうたがはるらむ
ゆきのいろを ぬすみてさける うのはなを さえでやひとに うたがはるらん
雪の白い色をこっそり真似して白く咲いている卯の花を雪のように冷えないのでおかしいと人に疑われるでしょうか。
051 年をへてかけし葵はかはらねど今日のかざしはめづらしきかな
としをへて かけしあおいワ かわらねど きょうのかざしワ めずらしきかな
長年にわたって賀茂の祭りには同じ葵を掛けてきて変わらないけれど、今日の挿頭の葵は新鮮な感じです。
052 さか木とる夏の山路やとをからむゆふかけてのみまつる神かな
さかきとる なつのやまぢや とおからん ゆうかけてのみ まつるかみかな
榊を採る夏の山道が遠いのでしょうか。いつも夕暮れになってから榊に木綿をかけて神を祭ることですよ。
053 むかしにもあらぬわが身にほとゝぎす待つ心こそ変らざりけれ
むかしにも あらぬわがみに ほととぎす まつこころこそ かわらざりけれ
昔と違って年が行ってしまった私にもほととぎすを待つ風雅な心持ちは変らないものです。
054 ほとゝぎすなく音ならでは世の中に待つこともなきわが身なりけり
ほととぎす なくねならでワ よのなかに まつこともなき わがみなりけり
ほととぎすの鳴く声を聞くこと以外には、この世の中では待つ事のない我が身なんですね。
055 今年だにまつ初声をほとゝぎす世にはふるさで我にきかせよ
ことしだに まつはつごえを ほととぎす よにワふるさで われにきかせよ
今年だけは、待ち続けている初声を、世の中で鳴き馴れてしまう前に私にまず聞かせてください、ほととぎすよ。
056 山里のかひこそなけれほとゝぎすみやこの人もかくや待つらむ
やまざとの かいこそなけれ ほととぎす みやこのひとも かくやまつらん
山里に籠っている甲斐がないですよ、ほととぎす。都の人もこのように初音をまっているのですね。
057 山彦のこたふる山のほとゝぎすひと声なけばふた声ぞきく
やまびこの こたふるやまの ほととぎす ひとこえなけば ふたこえぞきく
山のほととぎすは、山彦が答えるので、一声鳴くと二声聞くことが出来ます。
058 ほとゝぎすあかつきかけて鳴く声を待たぬ寝覚の人や聞くらむ
ほととぎす あかつきかけて なくこえを またぬねざめの ひとやきくらん
ほととぎすが明け方に鳴く、その一声を待っていなかった人がたまたま目覚めて聞いているのでしょうか。
059 待つ人は寝る夜もなきをほとゝぎす鳴く音は夢の心地こそすれ
まつひとワ ねるよもなきを ほととぎす なくねワゆめの ここちこそすれ
待っている人は寝る夜もないのに、ほととぎすが鳴く声は夢の中のような気持になります。
060 鳴きつとも誰にかいはんほとゝぎすかげよりほかに人しなければ
なきつとも だれにかいわん ほととぎす かげよりほかに ひとしなければ
ほととぎすが鳴いたと誰に言いましょうか、言えません。自分の影より他に誰も人がいませんので。
061 昆陽の池におふる菖蒲の長き根はひく白糸の心地こそすれ
こやのいけに おうるあやめの ながきねワ ひくしらいとの ここちこそすれ
昆陽の池に生えている菖蒲の長い根は、蚕屋(こや)で紡ぎ引く白糸のような心持ちがする。
062 よもすがらたたく水鶏はあまの戸をあけて後こそ音せざりけれ
よもすがら たたくくいなワ あまのとを あけてのちこそ おとせざりけれ
一晩中、戸を叩くような鳴き声で鳴いていた水鶏は、夜が明けて後はやはり鳴かなくなったなあ。
063 五月雨の日をふるまゝに鈴鹿川八十瀬の波ぞ声まさるなる
さみだれの ひをふるままに すずかがわ やそせのなみぞ こえまさるなる
五月雨の降る日が続くにつれて鈴鹿川の多くの瀬々の波音が高くなってくることです。
064 吾妹子がこやの篠屋の五月雨にいかでほすらん夏引の糸
わぎもこが こやのしのやの さみだれに いかでほすらん なつびきのいと
愛する人が、蚕屋が篠で葺いた粗末な小屋で、そこを降り通す五月雨の中、どのように干すのでしょうか夏に繭から採った糸を。
065 五月雨に難波堀江のみをつくし見えぬや水のまさるなるらん
さみだれに なにわほりえの みをつくし みえぬやみずの まさるなるらん
五月雨が降って難波の堀江の澪標が見えないのは、水かさが増しているのでしょうか。
066 もしほやく須磨の浦人うちたえていとひやすらん五月雨の空
もしおやく すまのうらびと うちたえて いとひやすらん さみだれのそら
藻塩を焼く須磨の浦はすっかり火が絶えてしまい、浦人は厭になりながら休んでいるのでしょうか、五月雨の空。
067 五月やみ花橘に吹く風はたが里までかにほひゆくらん
さつきやみ はなたちばなに ふくかぜは たがさとまでか においゆくらん
五月雨の頃の闇夜に 花が咲いている橘に吹く風は、誰の家まで匂って行くのでしょうか。
068 宿近く花橘はほり植ゑじ昔をこふるつまとなりけり
やどちかく はなたちばなワ ほりうえじ むかしをこうる つまとなりけり
家の近くには、昔の人の香りである花橘を植えたりしませんよ。昔を懐かしむ手がかりとなってしまうのですから。
069 薄く濃く垣ほににほふ撫子の花の色にぞ露もおきける
うすくこく かきほににおう なでしこの はなのにおいぞ つゆもおきける
垣に薄く、濃く美しく咲いている撫子の花と同じ色の露も置いています。
070 種まきしわが撫子の花ざかりいく朝露のおきて見つらん
たねまきし わがなでしこの はなざかり いくあさつゆの おきてみつらん
私が種をまいた撫子の花は花盛りとなっている。朝露の置いたその花を毎朝どれだけ起きて来ては見つめているでしょう。
071 鳴く声も聞こえぬものゝかなしきは忍びに燃ゆる蛍なりけり
なくこえも きこえぬものの かなしきワ しのびにもゆる ほたるなりけり
鳴く声さえも聞こえないものの、悲しいものは、忍ぶ思いの火で燃える蛍だったのです。
072 五月闇鵜川にともす篝火の数ますものは蛍なりけり
さつきやみ うかわにともす かがりびの かずますものワ ほたるなりけり
五月の闇夜に鵜飼いをしている川に篝火の数が増していくなあと思ったら蛍の火だったのです。
073 風吹けば河べ涼しくよる波のたちかへるべき心地こそすれ
かぜふけば かわべすずしく よるなみの たちかえるべき ここちこそすれ
風が吹くと川辺は、涼しく浪が立ち返り、引き返すつもりなのですが気持ちがおきません。留まっていたいですね。
074 杣川の筏のとこのうき枕夏は涼しきふしどなりけり
そまがわの いかだのとこの うきまくら なつはすずしき ふしどなりけり
杣川の川に浮かんだ筏の床の辛い枕も夏には涼しい寝床となることですよ。
075 待つ程に夏の夜いたくふけぬれば惜しみもあへぬ山の端の月
まつほどに なつのよいたく ふけぬれば おしみもあえぬ やまのはのつき
月の出を待っている内にとっても夜が更けてしまったので、東の山の端の月を愛借するまもありません。
076 川上に夕立すらしみくづせく梁瀬のさなみ立ちさわぐなり
かわかみに ゆうだちすらし みくづせく やなせのさなみ たちさわぐなり
川上で夕立がしているに違いない。木の葉やゴミが絡みついた簗が立つ川瀬にさざ波が立ち騒ぐ音がしています。
077 常よりもなげきやすらむたなばたは逢はまし暮をよそにながめて
つねよりも なげきやすらん たなばたワ あわましくれを よそにながめて
いつもの年よりももっと嘆いているでしょうか。織姫は今年の七夕は一月先に伸びたのでこの夕暮れを無縁のものと思いながら。
078 下紅葉ひと葉づゝちる木の下に秋とおぼゆる蝉の声かな
したもみじ ひとはずつちる このしたに あきとおぼゆる せみのこえかな 
下葉の黄葉が、一葉、一葉と散る木の枝の下で秋が来たと感じさせる蝉の声ですね。
079 蟲の音もまだうちとけぬ草むらに秋をかねてもむすぶ露かな
むしのねも まだうちとけぬ くさむらに あきをかねても むすぶつゆかな
虫の音もまだ馴染まない草むらに、まだ秋になる前なのにもう結んでいる露ですよ。
巻第三 秋
080 山城の鳥羽田の面を見わたせばほのかにけさや秋風は吹く
やましろの とわだのおもを みわたせば ほのかにけさや あきかぜワふく
山城の国の鳥羽の地の田面を見わたすと、今朝は稲穂をなびかせる微かな秋風が吹いています。
081 君住まばとはましものを津の国の生田の杜の秋の初風
きみすまば とわましものを つのくにの いくたのもりの あきのはつかぜ
もしあなたが住んでいるのなら尋ねたのにね。津の国の生田の森の秋の初風がどのようだったかと。
082 荻の葉にすがく糸をもさゝがにはたなばたにとや今朝は引くらん
おぎのはに すがくいとをも ささがにワ たなばたにとや けさワひくらん
荻の葉に巣をかけるその糸をも織姫に貸そうと蜘蛛は七夕の朝に引くのでしょうか。
083 たなばたに衣をぬぎてかすべきにゆゝしとやみん墨染の袖
たなばたに ころもをぬぎて かすべきに ゆゆしとやみん すみぞめのそで
織姫に自分の衣を脱いででも貸すのが当たり前かもしれないが、縁起が悪いと思われるかな、この墨染めの袖では。
084 たなばたに心はかすと思はねど暮れゆく空はうれしかりけり
たなばたに こころワかすと おもわねど くれゆくそらワ うれしかりけり 
織姫に衣や糸ばかりでなく私の心まで貸したとは思わないけど、空が暮れていくのは、織姫と同様に心がワクワクしますね。
085 いかなればとだえそめけん天の川あふ瀬に渡す鵲の橋
いかなれば とだえそめけん あまのかわ あうせにわたす かささぎのはし
どういう訳で7月7日以降は途絶えてしまったのでしょうか、織姫と彦星が逢う時に天の川に渡すかささぎの橋は。
086 天の川よこぎる雲やたなばたのそらだき物のけぶりなるらん
あまのかわ よこぎるくもや たなばたの そらだきものの けぶりなるらん
天の川を横切る雲は、織姫の衣だけでなく、一面に漂い薫る空薫物の煙なんでしょうか。
087 おぼつかな変わりやしにし天の川年にひとたび渡る瀬なれば
おぼつかな かわりやしにし あまのかわ としにひとたび わたるせなれば
不安です。天の川を渡る浅瀬の場所は変ってないでしょうね。なにしろ一年に一度しか渡らない瀬なんですから。
088 天の川玉橋いそぎ渡さなむ浅瀬たどるも夜の更けゆくに
あまのかわ たまばしいそぎ わたさなん あさせわたるも よのふけゆくに
天の川に橋を急いで渡しましょう。浅瀬を探して渡っていると夜が更けていくので。
089 あふ夜とはだれかはしらぬたなばたのあくる空をもつつまざらなん
あう夜とワ だれかワしらぬ たなばたの あくるそらをも つつまざらなん
二人が逢う夜と誰もが知っています。織姫は夜明けの空も遠慮しないでゆっくり名残を惜しんでください。
090 たなばたの待ちつるほどの苦しさとあかぬ別れといづれまされり
たなばたの まちつるほどの くるしさと あかぬわかれと いづれまされり
牽牛の訪れを待っている時と、満ち足りないままでの別れとでは、織姫の苦しさはどちらがまさっているのでしょうか。
091 天の川かへらぬ水をたなばたはうらやましとは今朝は見るらん
あまのかわ かえらぬみずを たなばたワ うらやましとワ 今朝ワみるらん
流れてしまってもう帰らない天の川の水を織姫はうらやましいと思って今朝は見ているのでしょうか。
092 水清みやどれる秋の月さへや千代まで君とすまむとすらむ
みずきよみ やどれるあきの つきさえや ちよまできみと すまんとすらん
水が清らかなので水面に映る秋の月でさえもあなたと共に千代までこの池で一緒に住もうとしているのでしょうか。
093 いかなれば同じ空なる月影の秋しもことに照りまさるらん
いかなれば おなじそらなる つきかげの あきしもことに てりまさるらん
どういうわけでゝ空に出る月の光が秋になると格別に照り勝るのでしょうか。
094 春夏は空やはかはる秋の夜の月しもいかで照りまさるらん
はるなつは そらやワかわる あきのよの つきしもいかで てりまさるらん
春、夏は秋とは空が異なっているのでしょうか。いないですよね。ではどうして秋の夜の月は照り勝っているのでしょう。
095 秋にまたあはんあはじも知らぬ身は今宵ばかりの月をだに見む
あきにまた あわんあわじも しらぬみワ こよいばかりの つきをだにみん
再び秋に逢うのか逢わないのか分からない我が身ですが、せめて今夜だけの月だけでも見ておきましょう。
096 ありしにもあらずなりゆく世の中にかはらぬ物は秋の夜の月
ありしにも あらずなりゆく よのなかに かわらぬものワ あきのよのつき
昔のようでは無くなっていくこの世の中で変わらないものは秋の夜の月だけですね。
097 秋の夜の月の光のもる山は木のしたかげもさやけかりけり
あきのよの つきのひかりの もるやまワ このしたかげも さやかなりけり
秋の夜の月の光が木の間から洩れてくる近江の守山では、木陰さえも明るいですね。
098 天つ風雲吹きはらふ高嶺にて入るまで見つる秋の夜の月
あまつかぜ くもふきはらう たかねにて いるまでみつる あきのよのつき
空の風が雲を吹き払う高嶺で、西の山に入るまで見続けてしまった秋の夜の月です。
099 秋の夜は月に心のひまぞなき出づるを待つと入るを惜むと
あきのよワ つきのこころに ひまぞなき いづるをまつと いるをおしむと
秋の夜は月のせいで心の休まる時がない。出てくるのを待ち焦がれ、入ってしまうと惜しんでいるから。
100 ひく駒に影をならべて逢坂の関路よりこそ月は出でけり
ひくこまに かげをならべて おおさかの せきぢよりこそ つきワいでけり
中秋の望月が望月の馬と「かげ」を並べて、山から出るのではなくて逢坂の関から出るのですね
101 秋の夜の露も曇らぬ月を見ておきどころなき我が心かな
あきのよの つゆもくもらぬ つきをみて おきどころなき わがこころかな
秋の夜の少しも曇ってなくて、清々しく露を照らす月を見ると、そわそわと落ち着かなくなる私の心です。
102 秋の夜の月待ちかねておもひやる心いくたび山を越ゆらむ
あきのよの つきまちかねて おもいやる こころいくたび やまをこゆらん
秋の夜の月の出を待ち切れなくて、その思いを馳せる私の心は、何度山を越えて行ったでしょう。
103 秋山の清水は汲まじにごりなばやどれる月の曇りもぞする
あきやまの しみずワくまじ にごりなば やどれるつきの くもりもぞする
秋の山の清水は汲まないことにしよう。水が濁ってしまったら、水に映っている月が雲ったりするから。
104 秋の夜の月にこゝろのあくがれて雲井にものを思ふ頃かな
あきのよの つきにこころの あくがれて くもいにものを おもうころかな
秋の夜の月に心が引かれて落ち着きをなくし、上の空で、いろいろ物思いすることです。
105 ひとり居てながむる宿の荻の葉に風こそわたれ秋の夕暮れ
ひとりいて ながむるやどの おぎのはに かぜこそわたれ あきのゆうぐれ
ひとりぼっちで物思いにふけている人の家の庭の荻の葉に、せめて風が吹きぬけておくれ秋の夕暮れ。
106 荻の葉にそゝや秋風吹きぬなりこぼれやしぬる露の白玉
おぎのはに そそやあきかぜ ふきぬなり こぼれやしぬる つゆのしらたま
荻の葉にそれそれ秋風が吹きぬけたようです。こぼれ落ちてしまったのかな露の真珠は。
107 秋吹くはいかなる色の風なれば身にしむばかりあはれなるらん
あきふくワ いかなるいろの かぜなれば みにしむばかり あわれなるらん
秋に吹く風はどのような色だからというので、身にしみるほどしみじみしているのでしょうか。
108 み吉野の象山かげにたてる松いく秋風にそ馴れきぬらん
みよしのの きさやまかげに たてるまつ いくあきかぜに そなれきぬらん
吉野の象山の山陰に立つ松の木は、幾年の秋風に吹かれ続けてきたのでしょう。
109 荻の葉に露吹きむすぶこがらしの音ぞ夜寒になりまさるなる
おぎのはに つゆふきむすぶ こがらしの おとぞよさむに なりまさるなる
荻の葉に露を吹き結ぶ木枯らしの風の音を聞くと、ますます夜は寒くなってきたようです。
110 夕霧に梢も見えず初瀬山いりあひの鐘の音ばかりして
ゆうぎりに こずえもみえず はつせやま いりあいのかねの おとばかりして 
夕霧で梢も見えない初瀬山です。夕暮れ時の鐘の音だけが聞こえてきます。
111 秋の野の花見る程の心をば行くとはいはんとまるとやいはん
あきののの はなみるほどの こころをば いくとワいわん とまるとやいわん
秋の野に咲いている花を見ている時の気持ちとは、心が満足すると言ったものか、心がひかれると言ったものか。
112 神垣にかゝるとならば朝顔もゆふかくるまでにほはざらめや
かみがきに かかるとならば あさがおも ゆうかくるまで にほワざらめや
神垣に懸かって有るならば、朝顔も木綿を懸ける夕方まで咲いていなくてはいけないということはないでしょう。
113 主や誰しる人なしに藤袴見れば野ごとにほころびにけり
ぬしやたれ しるひとなしに ふじばかま みればのごとに ほころびにけり
持ち主は誰でしょう。知る人もないままに 野辺を見るとどの野辺にも藤袴が咲き綻んでいます。
114 朝な朝な露おもげなる萩のえに心をさへもかけてけるかな
あさなあさな つゆおもげなる はぎのえに こころをさえも かけてけるかな
毎朝、露も重げにたわむ萩の花の枝に、さらに私の心までもかけて見ることです。
115 荻の葉に言問ふ人もなきものを来る秋ごとにそよと答ふる
おぎのはに こととうひとも なきものを くるあきごとに そよとこたうる
荻の葉に物を尋ねる人もいないのに、秋が来るたびに、そうです、そうですと答えます。
116 秋の野の草むらごとにおく露はよるなく蟲の涙なるべし
あきののの くさむらごとに おくつゆワ よるなくむしの なみだなるべし
秋の野のどの草にも置いている露は、夜にないた虫の涙に違いありません。
117 八重葎しげれる宿はよもすがら蟲の音聞くぞとりどころなる
やえむぐら しげれるやどハ よもすがら むしのねきくぞ とりどころなる
幾重にも葎が茂っている荒れた家は趣もありませんが、一晩中虫の声が聴けるのはとりえですね。
118 鳴く蟲のひとつ声にも聞こえぬはこころごころにものやかなしき
なくむしの ひとつこえにも きこえぬワ こころごころに ものやかなしき
虫が鳴く声が同じように聞こえないのは、虫それぞれの心にそれぞれの悲しみを持っているからでしょうか。
119 故郷にかはらざりけり鈴蟲の鳴海の野邉の夕暮れの声
ふるさとに かわらざりけり すずむしの なるみののべの ゆうぐれのこえ
故郷の野の鈴虫と鳴き声は変らないんですね。鳴海の野辺で夕暮れに鳴く虫の声は。
120 秋風に露をなみだと鳴く蟲の思ふ心を誰に問はまし
あきかぜに つゆをなみだと なくむしの おもうこころを だれにとわまし
秋風が吹く中で、涙を露となしてなく虫の歎き悲しむ心中を誰に尋ねたらいいのでしょう。
121 逢坂の杉間の月のなかりせばいくきの駒といかで知らまし
おおさかの すぎまのつきの なかりせば いくきのこまと いかでしらまし
逢坂山の杉の木の間から漏れる月がなかったら、どれくらいの大きさの馬か分からなかったでしょう。
122 聞く人のなど安からぬ鹿の音は我がつまをこそ恋ひて鳴くらめ
きくひとの などやすからぬ しかのねワ わがつまをこそ こいてなくらめ  
聞く人さえも心が落ち着かなくなるのでしょう。鹿の鳴き声は他でもない自分の妻を恋で鳴くのにね。
123 秋萩を草の枕にむすぶ夜はちかくも鹿の声を聞くかな
あきはぎを くさのまくらに むすぶよワ ちかくもしかの こえをきくかな 
秋萩を草の枕として結ぶ旅寝では、鹿の鳴き声が近くに聞こえますよ。
124 秋ふかみ花には菊の関なれば下葉に月ももりあかしけり
あきふかみ はなにワきくの せきなれば したばにつきも もりあかしけり
秋も深まったので花として菊の花が秋が過ぎるのを留める関所となって、下葉にも月の光が漏れ来て散らぬよう守り明かしました。
125 霜がるるはじめと見ずば白菊のうつろふ色をなげかざらまし
しもがかる はじめとみずワ しらぎくの うつろういろを なげかざらまし
それが霜枯れの初めと思わなかったら、白菊の霜にうたれて変っていく色を嘆いたりはしなかったでしょう。
126 今年もまた咲くべき花のあらばこそうつろふ菊にめかれをもせめ
ことしもまた さくべきはなの あらばこそ うつろうきくに めかれをもせめ
今年まだ咲くはずの花があるのでしたら、枯れゆく菊の花から目を離すこともしましょうが。
127 草枯の冬までみよと露霜のおきて残せる白菊の花
くさがれの ふゆまでみよと つゆしもの おきてのこせる しらぎくのはな
草枯れして花のない冬までも見よとて、露も霜も取りのけて残している白菊の花です。
128 関こゆる人に問はばやみちのくの安達のまゆみ紅葉しにきや
せきこゆる ひとにとわばや みちのくの あだちのまゆみ もみじしにきや
白河の関を越えてくる人に尋ねたいです。陸奥の安達の檀(山錦木)はもう紅葉してしまったのかどうか。
129 いくらとも見えぬ紅葉の錦かなたれふたむらの山といひけん
いくらとも みえぬもみじの にしきかな たれふたむらの やまといいけん 
どれ程とも分からないくらいの量の紅葉の錦です。一体誰が両村山(二疋山)と言ったのでしょう。
130 夕されば何かいそがむもみぢ葉の下照る山は夜も越えなん
ゆうされば なにかいそがん もみじばの したてるやまワ よるもこえなん
夕方になったからといってどうして急ぎましょうか。紅葉が赤く木の下を照らす山道では夜でも越えられましょう。
131 山里はゆきゝの道も見えぬまで秋の木の葉にうづもれにけり
やまざとワ ゆききのみちも みえぬまで あきのこのはに うづもれにけり
山里は行き来の道も見えないほどに秋の木の葉に埋もれてしまったのですね。
132 春雨のあやおりかけし水の面に秋は紅葉の錦をぞ敷く
はるさめの あやおりかけし みずのおもに あきはもみじの にしきをぞしく
春雨が綾を織り懸けた水の面に、秋になると紅葉が錦を敷くことです。
133 名残なく時雨の空は晴れぬれどまだ降るものは木の葉なりけり
なごりなく しぐれのそらワ はれぬれど まだふるものワ このはなりけり
時雨が降ったあとの空はすっかり晴れましたが、まだ降っていると思ったのは、木の葉の落ちる音だったのです。
134 荒れはてて月もとまらぬ我が宿に秋の木の葉を風ぞ吹きける
あれはてて つきもとまらぬ わがやどに あきのこのはを かぜぞふきける
荒れ果ててしまい月も留まろうとしない我が家に秋の紅葉を風が屋根に葺き敷いています。
135 秋深み紅葉おちしく網代木は氷魚のよるさへあかく見えけり
あきふかみ もみじおちしく あじろぎワ ひおのよるさえ あかくみえけり
秋が深いので紅葉が一面に落ち敷いている網代木は、紅葉の赤さで夜でも氷魚が寄るのが明るく見えます。
136 初霜もおきにけらしな今朝見れば野べの浅茅も色づきにけり
はつしもも おきにけらしな けさみれば のべのあさじも いろづきにけり
初霜も置いたようですね。今朝見ると、野辺の浅茅も色づいてしまってます。
137 いづ方に秋のゆくらん我が宿に今宵ばかりは雨やどりせよ
いずかたに あきのゆくらん わがやどに こよいばかりワ あまやどりせよ
どこに秋は行こうとしているのでしょうか。我が家に今宵だけは雨宿りしなさいよ。
巻第四 冬
138 何事も行きて祈らんと思ひしに神無月にもなりにけるかな
なにごとも ゆきていのらんと おもいしに かんなづきにも なりにけるかな
いろんな事を参拝して祈ろうと思っていたのに、神様が留守をしている神無月になっていたのですね。
139 楸おふる澤辺の茅原冬来れば雲雀の床ぞあらはれにける
ひさぎおうる さわべのちはら ふゆくれば ひばりのとこぞ あらわれにける
楸が生えている沢辺の茅原も冬が来ると、その茅原が枯れて雲雀の巣床が表れてしまうことです。
140 梢にてあかざりしかばもみぢ葉の散りしく庭を拂はでぞ見る
こずえにて あかざりしかば もみじばの ちりしくにわを はらはでぞみる 
梢にある間に十分見ていなくて満足していないので、紅葉の葉が散り敷いている庭を掃かないでそれを見ています。
141 色々に染むる時雨にもみぢ葉はあらそひかねて散りはてにけり
いろいろに そむるしぐれに もみじばワ あらそひかねて ちりはてにけり
木々を様々な色に染める時雨に抵抗しきれずに紅葉葉は散ってしまいました。
142 山ふかみ落ちて積もれるもみぢ葉のかはける上に時雨降るなり
やまふかみ おちてつもれる もみじばの かわけるうえに しぐれふるなり
山が深いので落ちて積み重なっている紅葉の、その乾いた葉の上に時雨が降っているようです。
143 今更におのがすみかを立たじとて木の葉の下に鴛ぞ鳴くなる
いまさらに おのがすみかを たたじとて このはのしたに おしぞなくなる 
今となっては自分のすみかから離れまいとしているので、木の葉の下で埋もれて鴛鴦が鳴いています。
144 風吹けば楢の枯葉のそよヽといひ合せつついづち散るらん
かぜふけば ならのからはの そよそよと いいあわせつつ いづちちるらん
風が吹くと、楢の梢の枯葉がそうだね、そうだねと語らいながら、言い合いながら一体どこへ散って行くのでしょう。
145 外山なる柴の立ち枝に吹く風の音きく時ぞ冬はものうき
とやまなる しばのたちえに ふくかぜの おときくときぞ ふゆワものうき
里に近い山なみの柴の細い立枝を吹き過ぎる風の音を聞く、そんな時は、冬は本当に辛いものだと思います。
146 秋はなほ木の下陰もくらかりき月は冬こそ見るべかりけれ
あきワなお このしたかげも くらかりき つきはふゆこそ みるべかりけれ
秋は月が明るいと言ってもやはり木の下では暗いです。月はやはり木の葉の落ちた冬に見るべきでした。
147 もろともに山めぐりする時雨かなふるにかひなき身とは知らずや
もろともに やまめぐりする しぐれかな ふるにかいなき みとワしらずや
わたしと一緒に寺巡りする時雨ですね。生きていても甲斐のない身とは知らないのですか。無益に降らないで私から離れなさいね。
148 いほりさす楢の木陰にもる月の曇ると見れば時雨降るなり
いおりさす ならのこかげに もるつきの くもるとみれば しぐれふるなり
旅の仮庵で楢の木陰に洩れ来る月の光が曇ったと思ったらどうやら時雨が降っているようです。
149 深山には嵐やいたく吹きぬらん網代もたわに紅葉つもれり
みやまにワ あらしやいたく ふきぬらん あじろもたわに もみじつもれり
奥山では嵐がひどく吹いたのでしょうか。谷川の網代もたわむほどに紅葉が流れ積もっています。
150 霰降るかた野のみ野のかり衣ぬれぬ宿かす人しなければ
あられふる かたののみのの かりごろも ぬれぬやどかす ひとしなければ
霰が降る交野の御領地で狩りをするも衣が濡れてしまった。濡れない宿を貸す人もいないので。
151 山深みやく炭がまの煙こそやがて雪げの雲となりけれ
やまふかみ やくすみがまの けむりこそ やがてゆきげの くもとなりけれ
山が深いので炭を焼くかまの煙が、実はそのまま雪もようの雲となるのですね。
152 年を経て吉野の山に見なれたる目にめづらしき今朝の初雪
としをへて よしののやまに みなれたる めにめずらしき けさのはつゆき
何年もずっと吉野の山で雪を見慣れていますが、それでも新鮮に見える今朝の初雪です。
153 日ぐらしに山路の昨日しぐれしは富士の高嶺の雪にぞありける
ひぐらしに やまじのきのう しぐれしワ ふじのたかねの ゆきにぞありける 
昨日は一日中時雨が降りましたが、それが富士の高嶺では雪だったのです。
154 奥山の岩垣もみぢ散りはてて朽葉がうへに雪そつもれる
おくやまの いわがきもみじ ちりはてて くちばがうえに ゆきぞつもれる
奥深い山の垣根のように岩が取り囲んだ所に生えている紅葉が散ってしまい、朽ちた葉の上に雪が積もっています。
155 紅に見えし梢も雪降れば白木綿かくる神無備の杜
くれないに みえしこずえも ゆきふれば しらゆうかくる かんなびのもり
紅葉で紅色に見えた梢も雪が降ると白木綿を懸ける神無備のやしろです。
156 待つ人の今もきたらばいかヾせん踏ままくをしき庭の雪かな
まつひとの いまもきたらば いかがせん ふままくおしき にわのゆきかな
私が待っている人が今来たらどうしましょう。踏むのがもったいない庭の雪です。
157 数ならぬ身にさへ年の積もるかな老は人をもきらはざりけり
かずならぬ みにさえとしの つもるかな おいはひとをも きらわざりけり
人並でもない我が身さえも歳は積もることですよ。。老いは人を分け隔てたりしないものなんですね。
158 魂祭る年のをはりになりにけり今日にや又もあはんとすらん
たままつる としのおわりに なりにけり きょうにやまたも あわんとすらん
先祖の御霊を祭る大晦日になってしまいました。はたして再びこの日に逢えるのでしょうか。
巻第五 賀
159 君が代にあふくま川の底きよみ千年をへつゝすまんとぞ思ふ
きみがよに あぶくまがわの そこきよみ ちとせをへつつ すまんとぞおもう
御君の代にて、阿武隈川は清らかなので、千年を経ても住み続くように私も御君の世に住んでいたいと思っています。
160 珍しく今日たち初むる鶴の子は千代のむつきを重ぬべきかな
めずらしく きょうたちそむる つるのこワ ちよのむつきを かさぬべきかな
珍しくも正月の今日に初めて巣立つ鶴の子は、千年も正月を重ねるに違いありません。
161 過ぎ来にしほどをばすてて今年より千代はかぞへん住吉の松
すぎきにし ほどをばすてて ことしより ちよワかぞえん すみよしのまつ
これまでの過ぎてきた年月を捨てて、今年より新しく千歳の数を数えることにする住吉の松です。
162 君が代は白雲かゝる筑波嶺の岑のつゞきの海となるまで
きみがよワ しらくもかかる つくばねの みねのつづきの うみとなるまで
御君の世は、白雲のかかる筑波山の峰々が海と変わるまで続くことでしょう。峰が海になることはないですね。
163 榊葉を手にとりもちて祈りつる神の代よりも久しからなん
さかきばを てにとりもちて いのりつる かみのよよりも ひさしからなん
榊の葉を取り持って祈った神々の代よりももっと久しくあってほしいです。
164 あかでのみ帰ると思へば桜花をるべき春ぞつきせざりける
あかでのみ かえるとおもえば さくらばな おるべきはるぞ つきせざりける
屏風の絵では、見飽きる前に帰るのだなあと思ったら、桜花は満開のまま春は終わらないのでした。
165 松島の磯にむれゐる蘆鶴のおのがさまヾ見えし千代かな
まつしまの いそにむれいる あしたづの おのがさまざま みえしちよかな
松島の磯で群れている鶴のように、各々にそれぞれ千年の歳の印が見えたことです。
166 一年を暮れぬとなにか惜むべきつきせぬ千代の春を待つには
ひととせを くれぬとなにか おしむべき つきせぬちよの はるをまつにワ
年が暮れると言ってたった一年をどうして惜しむのかな。暮れれば春がきて、その春は千代に巡って来て尽きることはないのですから。
167 たれにとか池のこゝろも思ふらむ底にやどれる松の千年を
たれにとか いけのこころも おもうらん そこにやどれる まつのちとせを
誰に譲ろうと池の心は思っているのでしょうか。池の水底に影を宿している松のその千年の齢を。
168 君が代の久しかるべきためしにや神も植ゑけむ住吉の松
きみがよの ひさしかるべき ためしにや かみもうえけん すみよしのまつ
御君の御命の久しくあるにちがいない証拠として神は植えたんでしょうか住吉の松を。
169 住吉の現人神の久しさに松もいくたび生ひかはりけん
すみよしの あらひとがみの ひさしさに まつもいくたび おいかわりせん
住吉の現人神の齢の久しさには、松も何度生え変わるのでしょうか。
巻第六 別
170 都にておぼつかなさをならはずば旅寝をいかに思ひやらまし
みやこにて おぼつかなさを ならわずば たびねをいかに おもいやらまし
都にいる時に途絶えることに慣れていなかったら、今回のあなたの旅での独り寝をどんなに心配したことでしょう。
171 もろともにたゝましものを陸奥の衣の関をよそに聞くかな
もろともに たたましものを みちのくの ころものせきを よそにきくかな
一緒に旅だったでしょうが、今の仲では、陸奥へのあなたの旅を彼の地にある衣の関のように駆け引きもなく無縁のものとして聞くだけです。
172 よろこびをくはへに急ぐ旅なれば思へどえこそとゞめざりけれ
よろこびを くわえにいそぐ たびなれば おもえどえこそ とどめざりけれ
今回は、任官の賀びを加えて、加賀の国に急ぐ旅なので、あなたとは離れがたいですが引き留めることが出来ません。
173 とまりゐて待つべき身こそ老いにけれあはれ別は人のためかは
とまりいて まつべきみこそ おいにけれ あわれわかれワ ひとのためかわ
都に居残ってあなたの帰りを待つ自分こそ年老いてしまった。悲しいことに別れの宴は誰のためのものなんでしょうか。
174 かへり来ん程をも知らでかなしきはよを長月の別れなりけり
かえりこん ほどをもしらで かなしきワ よをながつきの わかれなりけり
あなたの帰ってくる時期さえも分からず、悲しいということは、一人寝の夜の長い長月の別れだったのですね。
175 六年にぞ君は来まさん住吉のまつべき身こそいたく老いぬれ
むとせにぞ きみワきまさん すみよしの まつべきみこそ いたくおいぬれ
6年目には、あなたは任地からお戻りになりますが、住吉の松のように長生きしてお待ちしないといけない我が身は年老いています。
176 茜さす日にむかひても思ひいでよ都は晴れぬながめすらんと
あかねさす ひにむかいても おもいいでよ みやこワはれぬ ながめすらんと
日向の国に下向して、照る日に向かっても思い出しなさいよ。都では心晴れぬ物思いをしているだろうと。
177 別路の草葉をわけん旅衣たつよりかねて濡るる袖かな
わかれじの くさばをわけん たびごろも たつよりかねて ぬるるそでかな
これから別れ別れになる旅路で草葉を分けて濡れるであろう旅衣は、立ち縫うや旅立つ前から私の涙で濡れる袖です。
178 またこむと誰にもえこそ言ひおかね心にかなふ命ならねば
またこんと だれにもえこそ いいおかね こころにかなう いのちならねば
また来ましょうと誰に対しても言い残せません。思いのままになる命ではありませんので。お世話になりました。
179 とどまらんとどまらじともおもほえず何處もつひの住處ならねば
とどまらん とどまらじとも おもおえず いずこもついの すみかならねば
この国に留まろうとも留まらないことも同じことです。思いかけず住んいるどこの場所でもこの世は終の住處ではないのですから。
180 ふたつなき心を君にとめおきて我さへ我に別れぬるかな
ふたつなき こころをきみに とめおきて われさえわれに わかれぬるかな
ただ一つしか無い心をあなたの元に留めおいて帰って来たので私までが私に別れて来た気がしてます。
181 暮ればまづそなたをのみぞ眺むべき出でん日毎に思ひおこせよ
くればまず そなたをのみぞ ながむべき いでんひごとに おもいおこせよ
日が暮れたら真っ先にあなたのことを思って西の方を眺めるでしょう。東の山から朝日が出る度に私のことを思い出してください。
182 東路のはるけき道を行きめぐりいつかとくべき下ひものせき
あづまじの はるけきみちを ゆきめぐり いつかとくべき したひものせき
東国への遥かな道を行き、そして帰って来て、下紐を解くことができるのはいつのことでしょう。
183 たち別れはるかにいきの松なれば恋しかるべき千代の蔭かな
たちわかれ はるかにいきの まつなれば こいしかるべき ちよのかげかな
旅立ち、別れて遥かに行くのは、筑紫の生の松原ですから恋しく思うのは松にあやかって千代を生きるあなたのお姿です。
184 はかなくも今朝の別れの惜しきかないつかは人をながらへて見し
はかなくも けさのわかれの おしきかな いつかワひとを ながらえてみし
そう思っても詮ないことですのに今朝の別れは惜しいことです。いつの時でも人と永く逢い続けるようなことって決してないのにね。
巻第七 恋上
185 あやしくも我がみ山木のもゆるかなおもひは人につけてしものを
あやしくも われがみやまぎの もゆるかな おもいワひとに つけてしものを
不思議です。私の身が春の深山の木の芽が萌えるように燃えるんです。思いの火は人につけたのにねえ。
186 いかでかはおもひありとも知らすべき室の八島の煙ならでは
いかでかワ おもいありとも しらすべき むろのやしまの けむりならでワ
いくら思っていても知らせることが出来ない。知らせるためには室のかまどの煙のように目に見えるものでなくては。
187 かくとだにいはで儚く恋ひ死なばやがてしられぬ身とやなりなん
かくとだに いわではかなく こいしなば やがてしられぬ みとやなりなん
恋してると言わないままに空しく死んだら、このままあの人に知られない身となってしまうのでしょうか。
188 思ひかね今日たてそむる錦木の千束もまたであふよしもがな
おもいかね きょうたてそむる にしきぎの ちづかもまたで あうよしもがな
恋しさに耐えかねて、今日立て始める錦木が千束になるのを待たないで逢う手立てがあったらなあ。
189 谷がはの岩間をわけてゆく水の音にのみやは聞かんと思ひし
たにがわの いわまをわけて ゆくみずの おとにのみやワ きかんとおもいし
谷川の岩の間を分けて流れて行く水のその音だけを聞くように、あなたを噂にだけ聞こうとは思ってませんでした。
190 よとともに恋ひつつ過ぐる年月は変れど変る心地こそせね
よとともに こいつつすぐる としつきワ かわれどかわるここちこそせね
ずっとあなたが好きなまま過ぎて来た年月は、立春が過ぎて新しい年に変わっても、好きなままなので年が変わった気がしません。
191 わが恋は夢路にのみぞなぐさむるつれなき人もあふと見ゆれば
わがこいワ ゆめじにのみぞ なぐさむる つれなきひとも あうとみゆれば
私の恋は夢の中の通い路だけで慰められます。あの無常で寄せ付けない人も夢では逢うと見えるので。
192 慰むるかたもなくてややみなまし夢にも人のつれなかりせば
なぐさむる かたもなくてや やみなまし ゆめにもひとの つれなかりせば
慰めるすべもないままに終わってしまったのでしょうか。夢の中でもあの人はつれなかったのでしたら。
193 命あらばあふ夜もあらん世の中になど死ぬばかり思ふ心ぞ
いのちあらば あうよもあらん よのなかに などしぬばかり おもうこころぞ
生きていれば、いつかは逢える時もあろう、男女の仲なのに、どうして死ぬほど恋しく思うこの心なんでしょう。
194 よそながらあはれといはん事よりも人づてならで厭へとぞ思ふ
よそながら あわれといわん ことよりも ひとづてならで いとえとぞおもう
逢おうとしないで他で「すまない。」と言うよりも、むしろ人伝てでなくて直接「もう気が変わりました。」と言って欲しいです。
195 恋ひ死なば君はあはれといはずともなかヽよその人やしのばん
こいしなば きみワあわれと いわずとも なかなかよその ひとやしのばん
もし恋わずらって死んでしまったら、あなたは可哀そうと思ってくれなくても、むしろ周囲の人が忍んでくれるでしょうか。
196 いかばかり人のつらさを恨みましうき身の咎と思ひなさずは
いかばかり ひとのつらさを うらみまし うきみのとがと おもいなさずば
どんなにかあなたのつれなさを恨んだことでしょう。我が身の咎のせいだと思うことにしなかったら。
197 我がためにつらき人をばおきながら何の罪なき世をや恨みむ
わがために つらきひとをば おきながら なにのつみなき よをやうらみん
私に対して耐えがたい仕打ちをする人を差し置いて、何の罪もない世間の人を恨んだりしません。恨むのはあなたです。
198 忘るやとながらへゆけど身にそひて恋しきことは後れざりけり
わするやと ながらへゆけど みにそいて こいしきことワ おくれざりけり
ながく逢わねばあなたのことを忘れるかと長柄へ行ったけど我が身に添ってきました。恋しい気持ちは後に留まっていないのですね。
199 年を経て燃ゆてふ富士の山よりもあはぬおもひは我ぞまされる
としをへて もゆちょうふじの やまよりも あわぬおもいワ われぞまされる
何年もずっと燃えている富士の山の火よりも恋しい人に逢えずに燃えている私の火のほうが強いのです。
200 わびぬればしひて忘れむと思へども心よはくも落つる涙か
わびぬれば しいてわすれんと おもえども こころよわくも おつるなみだか
この様につらい思いをするなら、無理をしても忘れようと思うが、心が弱くて落ちて来る涙です。
201 思はじと思へばいとど恋しきはいづれか我が心なるらん
おもわじと おもえばいとど こいしきワ いずれかわれが こころなるらん
思わないでおこうと思うとますます恋しくなるのは、一体私の本心はどちらなのでしょう。
202 心さへむすぶの神やつくりけむ解くるけしきも見えぬ君かな
こころさえ むすぶのかみや つくりけん とくるけしきも みえぬきみかな
身体のみならず心まで万物の神である結ぶの神が造ったのでしょうか。あなたの心は固く結ばれてうち解ける気配もありません。
203 ひとかたは思ひ絶えにし世の中をいかがはすべきしづのをだまき
ひとかたワ おもいたえにし よのなかを いかがワすべき しずのおだまき
私の方はきっぱり思いを絶ったのに、昔のようによりを戻したくても今更どうすることができましょうか。私のような者には。
204 影見えぬ君は雨夜の月なれや出でても人に知られざりけり
かげみえぬ きみワあまよの つきなれや いでてもひとに しられざりけり
姿の見えないあなたは雨夜の月だからでしょうか。山から出でても人に気づかれないのですね。月じゃないんだから姿を見せなさい。
205 七夕にけさ引く糸の露をおもみたわむけしきを見でややみなん
たなばたに けさひくいとの つゆをおもみ たわむけしきを みでややみなん
織女に供えて今朝引き渡す糸は、露を含んでたわんでいますが、そのような様子を見ないままであなたと終わるのでしょうか。
206 身のほどを思ひ知りぬることのみやつれなき人のなさけなるらん
みのほどを おもいしりぬる ことのみや つれなきひとの なさけなるらん
相手にされない身分の私であることを思い知らされることだけが、つれない人が示したたった一つの情けなんでしょうか。
207 わびつつもおなじ都はなぐさめき旅寝ぞ恋のかぎりなりける
わびつつも おなじみやこワ なぐさめき たびねぞこいの かぎりなりける
つらい思いをしていても同じ都にいると思うだけで慰められていたが、都を離れ旅での一人寝こそ恋しい思いの極みだったのだ。
208 風をいたみ岩うつ波のおのれのみ砕けてものを思ふ頃かな
かぜをいたみ いわうつなみの おのれのみ くだけてものを おもうころかな
風が激しいので岩を打つ波が砕けるように、私の身も砕けるようにいろいろと物思いする今日この頃です。
209 我が恋は吉野の山の奥なれや思ひいれどもあふ人もなし
わがこいワ よしののやまの おくなれや おもいいれども あうひともなし
私の子は吉野の山の奥のようなもの。山の奥で人に逢わないように、いくら深く愛しても逢い契ろうとする人がいない。
210 胸は富士袖は清見が関なれや煙も波もたたぬ日ぞなき
むねワふじ そでワきよみが せきなれや けむりもなみも たたぬひぞなき
胸は富士の山で袖は清見が関だからでしょうか、思いの火の煙も涙の波も立たない日はありません。
211 いたづらに千束くちにし錦木をなほこりずまに思ひたつかな
いたずらに ちづかくちにし にしきぎを なおこりずまに おもいたつかな
むなしく沢山の錦木が朽ち果ててしまったのに、性懲りもなくまた錦木を立てようと決心することだ。
212 桜花つひに咲くべきものならば人の心をつくさざらなん
さくらばな ついにさくべき ものならば ひとのこころを つくさざらなん
山の桜は遅れても結局は咲くはずのものですが、そうであるなら人の心を悩ませないで早く咲いてほしいです。
213 霜おかぬ人の心はうつろひて面変せぬ白菊の花
しもおかぬ ひとのこころワ うつろいて おもがわりせぬ しらぎくのはな
霜を置くことのない人の心は霜によって色が変わる草木のように変わって、かえって白菊は霜を置いても色が変わらないままです。
214 白菊のかはらぬ色もたのまれずうつろはでやむ秋しなければ
しらぎくの かわらぬいろも たのまれず うつろわでやむ あきしなければ
白菊の変らない色もあてにできません。色が変わらないままで終わる秋というものはありませんので。
215 紅の濃染の衣うへに着ん恋の涙の色かくるやと
くれないの こぞめのころも うえにきん こいのなみだの いろかくるやと 
紅色に濃く染めた衣を上に着ることにしましょう。恋に流す涙の色が隠れるのではと思うので。
216 しのぶれど涙ぞしるき紅にもの思ふ袖は染むべかりけり
しのぶれど なみだぞしるき くれないに ものおもうそでワ そむべかりけり
物思いを心に秘めていても涙は紅色になって分かってしまいます。物思いする人の袖は紅色に染めるべきでした。
217 紅に涙の色もなりにけり変るは人のこころのみかは
くれないに なみだのいろも なりにけり かわるワひとの こころのみかワ
悲しみのために涙の色も紅色になってしまった。変わるのは人の心だけではないのです。
218 恋ひ死なむ身こそ思へば惜しからね憂きもつらきも人のとがかは
こいしなん みこそおもえば おしからね うきもつらきも ひとのとがかワ
恋に死ぬような私の身は惜しいことはない。我が身の憂さもあの人の恨めしさも他の人がとやかく言うものではない。自業自得です。
219 つらさをば君にならひて知りぬるをうれしき事を誰にとはまし
つらさをば きみにならいて しりぬるを うれしきことを たれにとわまし
人を恨むことを貴方と馴染んでから知りました。でも嬉しいことを知るには誰に尋ねたら良いのでしょう。あなたしかいません。
220 嬉しきは如何ばかりかは思ふらん憂きは身にしむものにぞありける
うれしきワ いかがばかりかワ おもうらん うきワみにしむ ものにぞありける
嬉しいことはどれ程の事に思うのか分かりませんが、憂きことは泥水が沁みるように身にしみるものなんですね。
221 恋すれば憂き身さへこそ惜まるれ同じよにだに住まんと思へば
こいすれば うきみさえこそ おしまるれ おなじよにだに すまんとおもえば
人を恋すると、死んでも惜しくもないこの憂き身ですら死ぬのが惜しまれます。成就しなくても同じ世に住んでいると思うと。
222 御垣守る衛士のたく火の夜はもえ昼は消えつゝものをこそ思へ
みかきもり えじのたくひの よるワもえ ひるワきえつつ ものをこそおもえ
内裏の御垣守である衛士のたく火のように、夜は恋の思いに燃え、昼は身も魂も消えて、日々物思いをすることです。
223 我が恋は蓋身かはれる玉櫛笥いかにすれどもあふかたぞなき
わがこいワ ふたみかわれる たまぐしげ いかにすれども あうかたぞなき
私の恋は、蓋と箱が別々の櫛笥を入れる箱なんでしょうか。それでは蓋が合う訳はないようにあの人に逢うすべがありません。
224 氷して音はせねども山川のしたは流るるものと知らずや
こおりして おとワせねども やまがわの したワながるゝ ものとしらずや
山中の川は氷が張って水音はしませんが、その下では流れていると知ってますか。私も心の中では泣いていると知って欲しいです。
225 風吹けば藻塩の煙かたよりになびくを人のこころともがな
かぜふけば もしおのけむり かたよりに なびくをひとの こころともがな
風が吹くと藻塩を焼く煙は一方にたなびきますが、それをあの人の心としたいものです。私にだけたなびいて欲しいです。
226 瀬を早み岩にせかるる谷川のわれて末にもあはんとぞ思ふ
せをはやみ いわにせかるる たにがわの われてすえにも あわんとぞおもう
瀬の流れが速いので、岩で砕けて分かれますが、下流でまた流れが合うように、私も行く末にあなたに逢いたいものです。
227 播磨なる飾磨に染むるあながちに人を恋しと思ふころかな
はりまなる しかまにそむる あながちに ひとをこいしと おもうころかな
やたらとあの人を恋しいと思う今日この頃です。
228 程もなくくるゝと思ひし冬の日の心もとなきをりもありけり
ほどもなく くるるとおもいし ふゆのひの こころもとなき おりもありけり
すぐに暮れると思っていた日の短い冬の日も、暮れるのが待ち遠しいと思う日もあるものなのですね。
229 恋わびてひとりふせやによもすがら落つる涙やおとなしの瀧
こいわびて ひとりふせやに よもすがら おつるなみだや おとなしのたき
恋しいのになす術もなく一人伏している粗末な家で、一晩中流れ落ちる涙こそ音無の滝ではないでしょうか。
巻第八 恋下
230 君をわが思ふ心は大はらやいつしかとのみすみやかれつつ
きみをわが おもうこころワ おおはらや いつしかとのみ すみやかれつつ
あなたを想う私の気持ちはあふれんばかりで、早く早くとばかり心がはやってしまってるのです。
231 我が恋はあひ初めてこそまさりけれ飾磨の褐の色ならねども
わがこいワ あいそめてこそ まさりけれ しかまのかちの いろならねども
私の恋は逢い初めてからいっそう深くなったことです。飾磨の藍染の褐色ではないけれど。
232 夜を深み帰りし空もなかりしをいづくよりおく露にぬるらん
よをふかみ かえりしそらも なかりしを いずくよりおく つゆにぬるらん
まだ夜が深い時に帰りましたので名残惜しさで上の空。衣に置いたのは朝露ではなくて私の涙でした。
233 心をばとどめてこそは帰りつれあやしや何のくれを待つらん
こころをば とどめてこそワ かえりつれ あやしやなにの くれをまつらん
私の心はあなたの元に置いて帰って来たのに、一体心以外の何が日暮れを待っているのでしょう。
234 竹の葉に玉ぬく露にあらねどもまだよをこめておきにけるかな
たけのはに たまぬくつゆに あらねども まだよをこめて おきにけるかな
私は竹の葉に白玉を抜くように置いている露ではありませんが、その露のようにまだ夜のうちに起きてしまったことです。
235 皆人の惜む日なれどわれはたヾ遅く暮れゆくなげきをぞする
みなひとの おしむひなれど われワただ おそくくれゆく なげきをぞする
九月末日、秋最後の日、人は皆過ぎ行くのを惜しむ日ですが、私はただ日がなかなか暮れないのでため息ばかりついてます。
236 我のみや思ひおこせんあぢきなく人はゆくへも知らぬものゆゑ
われのみや おもいおこせん あじきなく ひとワゆくえも しらぬものゆえ
私だけが一方的に思い起こしているのでしょうか。苦々しいことにあなたは私の行き先さえも知らないのですから。
237 思ふことなくて過ぎつる世の中につひに心をとどめつるかな
おもうこと なくてすぎつる よのなかに ついにこころを とどめつるかな
思い煩うことなく過ぎて来たこの世で、とうとう私の心はあなたのことに執着するばかりです。
238 つねよりも露けかりける今宵かなこれや秋立つはじめなるらん
つねよりも つゆけかりける こよいかな これやあきたつ はじめなるらん
いつもより露っぽい今宵ですこと。これがあきがくる初めなんでしょうか。
239 せきとむる岩間の水もおのづから下にはかよふものとこそ聞け
せきとむる いわまのみすも おのずから したにワかよう ものとこそきけ
岩に堰き止められている水も、当然水面下では流れているものと聞いています。人に妨げられてもこっそりと逢えるのでは。
240 あふことはまばらに編めるいよ簾いよいよわれをわびさするかな
おうことワ まばらにあめる いよすだれ いよいよわれを わびさするかな
逢うことがすきすきで編んである伊予簾のようになって、いよいよ私をつらくさせるのかな。まれに逢う方がつらい。
241 いづくをもよがるゝ床のわりなきに二つにわくる我が身ともがな
いずくをも よがるるとこの わりなきに ふたつにわくる わがみともがな
どちらの女とも夜離れすることはつらいので二つに分けることが出来る我が身だったらなあ。
242 諸共におきゐる露のなかりせば誰とか秋の夜をあかさまし
もろともに おきいるつゆの なかりせば たれとかあきの よをあかさまし
一緒におきあかした露がなかったら、私は誰と一緒に夜を明かせばよかったのでしょう。誰もいなかった。
243 来たりとも寝る間もあらじ夏の夜の有明の月も傾きにけり
きたりとも ねるまもあらじ なつのよの ありあけのつきも かたぶきにけり
たとえあの人が来たとしても、もう寝る間もなかったでしょう。夏の短い夜の有明の月も西に傾いてしまった。
244 来ぬ人を恨みもはてじ契りおきしその言の葉も情ならずや
こぬひとを うらみもはてじ ちぎりおきし そのことのはも なさけならずや
来ぬ人を恨んだりするのはもう止めておこう。また来ると言ったその言葉も嬉しがらせてくれたあの人の愛情だったのでしょう。
245 夕暮にもの思ふことはまさるやと我ならざらむ人に問はばや
ゆうぐれに ものおもうことワ まさるやと われならざらん ひとにとわばや
夕暮れに物思いが増すものなのか、これは自分だけの特別な感情か、誰にでもあることなのか他の人に聞いてみたいです。
246 涙さへいでにしかたをながめつつ心にもあらぬ月を見しかな
なみださえ いでにしかたを ながめつつ こころにもあらぬ つきをみしかな
あなたが出でて、涙さえも流れ出で、あなたが出て行った後をぼんやりと眺めていると、見るつもりもなかった月をみたことです。
247 つらしとて我さへ人を忘れなばさりとて中の絶えやはつべき
つらしとて われさえひとを わすれなば さりとてなかの たえやはつべき
仕打ちがひどいからといって私までがあの人を忘れたら...。だからといって私たちの仲が終わってしまっていいのかしら。
248 あふことや涙の玉の緒なるらんしばし絶ゆれば落ちてみだるる
あうことや なみだのたまの おなるらん しばしたゆれば おちてみだるる
逢うということは、涙の玉を貫抜きとめている紐なんでしょうか。しばらく逢うことが絶えると涙の玉が落ちて乱れてしまう。
249 み狩野のしばしのこひはさもあらばあれ反りはてぬるか矢形尾の鷹
みかりのの しばしのこいワ さもあらば あれそりはてぬか やかたおのたか
御狩野の木居にしばし鷹を止まらせるようにしばし浮気をするのはしかたがないが、私から離れたのか矢形尾の鷹が反れるように。
250 竹の葉に霰降るなりさらさらにひとりは寝べき心地こそせね
たけのはに あられふるなり さらさらに ひとりはぬべき ここちこそせね
竹の葉にサラサラと霰が降っている音がしてます。こんな夜は一人で寝る寝る気がしません。
251 ありふるは苦しかりけりながからぬ人の心をいのちともがな
ありふるワ くるしかりけり ながからぬ ひとのこころを いのちともがな
生き老いていくことは苦しいことなんですね。いっそ、この先長くない人の心を私の命として人生を早く終えたいものです。
252 うきながらさすがにもののかなしきは今はかぎりと思ふなりけり
うきながら さすがにものの かなしきワ いまワかぎりと おもうなりけり
情けないと思いつつ、何と言ってもやはり悲しいことは、二人の仲はもう終わりなんだと思うことですね。
253 とはぬ間をうらむらさきに咲く藤の何とてまつに懸りそめけん
とわぬまを うらむらさきに さくふじの なにとてまつに かかりそめけん
訪れない間を恨んで過ごさないといけないのに、どうしてこんなに待たせてばかりの人と関りを持ってしまったのでしょう。
254 思ひやれ筧の水のたえだえになり行くほどの心細さを
おもいやれ かけいのみずの たえだえに なりゆくほどの こころぼそさを
想像してください。筧の水が絶え絶えになるように、男の人の訪れが絶え絶えになっていく心細さを。
255 鶯は木づたふ花の枝にても谷の古巣をおもひわするな
うぐいすワ こづたうはなの えだにても たにのふるすを おもいわするな
鶯よ、木から木へと伝っているが、その花の枝にいても谷の古巣を忘れないでね。
256 鶯は花の都も旅なれば谷の古巣をわすれやはする
うぐいすワ はなのみやこも たびなれば たにのふるすを わすれやワする
鶯は花の咲いている都も旅の途中のことですから谷の古巣をどうして忘れたりしましょうか。
257 夜を重ね霜とともにしおきゐればありしばかりの夢だにも見ず
よをかさね しもとともにし おきいれば ありしばかりの ゆめだにもみず
夜ごと置く霜と一緒に私も寝ずに起きているので、以前に見た程度のはかない夢も今は見ません。
258 あふことも我が心よりありしかば恋ひは死ぬとも人は恨みじ
あうことも わがこころより ありしかば こいワしぬとも ひとワうらみじ
逢うことも自分の心より決めたことなので、逢えなくなって恋い死にしても人を恨んだりしません。
259 汲み見てし心ひとつをしるべにて野中の清水わすれやはする
くみみてし こころひとつを しるべにて のなかのしみず わすれやワする
一度逢い契った人のその時の心を道しるべとして、昔の逢い契った人のことは忘れたりしません。
260 浅茅生にけさおく露の寒けくにかれにし人のなぞや恋しき
あさじゅうに けさおくつゆの さむけくに かれにしひとの なぞやこいしき
浅茅に今朝置く露が寒いので、草は枯れてしまったが、そんな時に離れてしまった人がどうして恋しいでしょうか。
261 忘らるる身はことわりと知りながら思ひあへぬは涙なりけり
わすらるる みワことわりと しりながら おもいあえぬワ なみだなりけり
私が忘れられるというのはどうすることも出来ないことと理解してますが、理解できないのはあふれ出てくるこの涙なんですね。
262 今よりは訪へともいはじ我ぞたゞ人を忘るゝことを知るべき
いまよりワ とえともいわじ われぞただ ひとをわするる ことをしるべき
これからは、訪れてくださいと言わないことにしましょう。私がただ人を忘れるということを学ばないといけないのですね。
263 さりとては誰にかいはん今はただ人を忘るゝこゝろ教へよ
さりとてワ たれにかいわん いまワただ ひとをわするる こころおしえよ
このように忘れられて誰に聞けばいいのでしょう。今となっては、心はどうやってあなたのことを忘れるのか教えてください。
264 まだ知らぬ事をばいかが教ふべき人を忘るる身にしあらねば
まだしらぬ ことをばいかが おしうべき ひとをわするる みにしあらねば
まだ知らないことをどうやって教えればいいのでしょうか。人を忘れるような私ではありません。
265 幾かへりつらしと人をみ熊野のうらめしながら恋しかるらん
いくかえり つらしとひとを みくまのの うらめしながら こいしかるらん
あの人のことを繰り返し恨めしいと思いながら見て過ごしてきたのに、恨めしいと思いながら何故恋しいのでしょう。
266 夕暮は待たれしものを今はただ行くらん方を思ひこそやれ
ゆうぐれワ またれしものを いまワただ いくらんかたを おもいこそすれ
今までは夕暮れ時にあなたの訪れを待っていたものなのに、今となってはあなたが訪れるであろうところを想像するだけです。
267 忘らるる人目ばかりを歎きにて恋しきことのなからましかば
わすらるる ひとめばかりを なげきにて こいしきことの なからましかば
忘られてしまったという世間の目の恥ずかしさだけが嘆くことであって、あの人が恋しいということがなかったらよかったのに。
巻第九 雑上
268 春霞かすめるかたや津の国のほのみしま江のわたりなるらん
はるがすみ かすめるかたや つのくにの ほのみしまえの わたりなるらん
春霞のかすんでいる方角が霞の間からほのかに見える津の国の三島江の辺りなんでしょうか。
269 須磨の浦にやく鹽がまの煙こそ春に知られぬ霞なりけれ
すまのうらに やくしおがまの けむりこそ はるにしられぬ かすみなりけれ
須磨の浦で藻塩を焼く塩釜の煙こそが、春とは関係のない霞だったのですね。
270 並み立てる松のしづ枝をくもでにて霞みわたれる天の橋立
なみたてる まつのしずえを くもでにて かすみわたれる あまのはしだて
並び立っている松の下枝を「くもで」として、一面の霞の中にかけ渡されている天橋立です。
0271 ながゐすな都の花も咲きぬらんわれもなにゆゑ急ぐ綱手ぞ
ながいすな みやこのはなも さきぬらん われもなにゆえ いそぐつなでぞ
長居してはいけません。都の花ももう咲いているでしょう。私もそれ故に急いでいる舟路なんですよ。
272 木のもとを栖とすればおのづから花見る人となりぬべきかな
このもとを すみかとすれば おのずがら はなみるひとと なりぬべきかな
桜の木の下を住処とすると、修行中の身でも花を見る人ということにおのずからなってしまいそうでうす。
273 散らぬ間に今一度も見てしがな花に先立つ身ともこそなれ
ちらぬまに いまひとたびも みてしがな はなにさきだつ みともこそなれ
散らない間にもう一度だけでも見たいものです。花より先に散る身になってはいけないので。
274 春来ればあぢか潟のみひとかたに浮くてふ魚の名こそをしけれ
はるくれば あぢかがたのみ ひとかたに うくちょういおの なこそおしけれ
春が来ると、鰺と言う名のある「あぢか潟」一ヶ所にばかり浮くというが、その為にあの桜鯛の名が惜しまれます。
275 身を知らで人を恨むる心こそ散る花よりもはかなかりけれ
みをしらで ひとをうらむる こころこそ ちるはなよりも はかなかりけれ
我が身の拙さに気がつかず、人を恨む心の方が、はかなく散る花よりももっとはかないことと知りました。
276 春の来ぬところはなきを白河のわたりにのみや花は咲くらん
はるのこぬ ところワなきを しらかわの わたりにのみや はなワさくらん
春の来ない所はないのに、白河の辺りにのみ花は咲いているのでしょうか。私の家にも咲いていますよ。
277 誰かこの数はさだめしわれはただとへとぞ思ふ山吹の花
たれかこの かずワさだめし われはただ とえとぞおもう やまぶきのはな
一体誰が八重と数を定めたのでしょうね。私はひたすらに十重(訪へ)と思います、この山吹の花は。
278 春日山北の藤なみ咲きしより栄ゆべしとはかねて知りにき
かすがやま きたのふじなみ さきしより さかえゆべしとワ かねてしりにき
春日山に藤の花が咲き始めた時より、必ず咲き栄えるにちがいないと以前より思っていました。
279 美作や久米のさら山と思へども和歌の浦とぞいふべかりける
みまさかや くめのさらやまと おもえども わかのうらとぞ いうべかりける
此処は美作の久米のの佐良山と思ってましたが、あれだけ和歌を詠み交わしたのですから紀伊の和歌の浦と言うべきでした。
280 和歌の浦といふにて知りぬ風吹かば波のよりこと思ふなるべし
わかうのら というにてしりぬ かぜふかば なみのよりこと おもうなるべし
和歌の浦と言ったので分かりました。風が吹いたら和歌の浦に波が寄せて来るように、私に寄って来てほしいのですね。
281 雲井よりつらぬきかくる白玉をたれ布引の滝といひけん
くもいより つらぬきかくる しらたまを たれぬのびきの たきといいけん
空から貫いて懸け下げている真珠を、布をたれ引いている滝と誰が言ったのでしょうね。
282 難波江の繁き蘆間を漕ぐ船は棹のおとにぞゆく方を知る
なにわえの しげきあしまを こぐふねワ さおのおとにぞ ゆくかたをしる
難波江の繁った蘆の間を漕いでいく船は、棹の音で進んでいく方向が分かります。
283 思出もなくてや我が身やみなまし姨捨山の月見ざりせば
おもいでも なくてやわがみ やみなまし おばすてやまの つきみざりせば
思い出もないままで我が身は命尽きていたのでしょうか。姨捨山の月を見なかったなら。
284 名に高き姨捨山も見しかども今宵ばかりの月はなかりき
なにたかき おばすてやまも みしかども こよいばかりの つきワなかりき
あの有名な姨捨山の月も見ましたが、今宵の月ほど素晴らしいものはありません。
285 月は入り人は出でなばとまりゐてひとりや我は空をながめん
つきワいり ひとワいでなば とまりいて ひとりやわれワ そらをながめん
月は西の山に入り、人は出で帰ったら、私はここにいて、一人で空を眺めることになるのでしょうか。
286 池水にやどれる月はそれながらながむる人のかげぞかはれる
いけみずに やどれるつきワ それながら ながむるひとの かげぞかわれる
池の水に映っている月は何も変わらないままですが、それを眺める人の姿は変ってしまいました。
287 世の中を思ひな入りそ三笠山さし出づる月の澄まむかぎりは
よのなかを おもいないりそ みかさやま さしいずるつきの すまんかぎりワ
生きていれば色々あるのですから思いつめないように。三笠山から差し昇る月が澄んでいる間は闇夜はありませんよ。
288 月清み田中に立てるかり庵のかげばかりこそ曇りなりけれ
つききよみ たなかにたてる かりいおの かげばかりこそ くもりなりけれ
月の光が清らかなので、田の中に建っている仮庵の影だけが陰りなんですね。
289 澄みのぼる月の光にさそはれて雲の上まで行く心かな
すみのぼる つきのひかりに さそわれて くものうえまで いくこころかな
澄みきって昇っていく月の光に誘われて私の心も雲の上まで昇っていくことです。
290 隈もなく信太の森の下晴れて千枝のかずさへ見ゆる月かな
くまもなく しのだのもりの したはれて ちえのかずさえ みゆるつきかな
一点の影もなく、信太の森の木の下は明るくて、千々の枝の数までが見える月の明るさです。
291 板間より月のもるをも見つるかな宿は荒して住むべかりけり
いたまより つきのもるをも みつるかな やどワあらして すむべかりけり
屋根の板の間から漏れる月の光を見た。家は荒らして住むのが良かったのですね。
292 さびしさに家出しぬべき山里を今宵の月に思ひとまりぬ
さびしさに いえでしぬべき やまざとを こよいのつきに おもいとまりぬ
寂しさに耐えかねて家を出ようと思う山里ですが、今宵の月の美しさに思いとどまったことです。
293 行く人も天のとわたるここちして雲の波路に月を見るかな
いくひとも あまのとわたる ここちして くものなみじに つきをみるかな
海路を行く人も月と共に天の川門を渡っている気持ちがして雲の波路を渡る月を見ています。
294 君待つと山の端いでて山の端に入るまで月をながめつるかな
きみまつと やまのはいでて やまのはに いるまでつきを ながめつるかな
あなたの訪れを待って月が東の山の端を出て、西の山の端に入るまでずっと月を眺めてしまいました。
295 いかなれば待つには出づる月なれどいるを心にまかせざるらん
いかなれば まつにワいずる つきなれど いるをこころに まかせざるらん
どういうわけで待っている月は必ず出て来るけど月の入るのを思い通りにできないのでしょうね。
296 こころみにほかの月をも見てしがなわが宿からのあはれなるかと
こころみに ほかのつきをも みてしがな わがやどからの あわれなるかと 
試しに他の所から月を見てみたいものです。我が家の場所だからの月の素晴らしさなのかどうか。。
297 恨めしく帰りけるかな月夜には来ぬ人をだに待つとこそ聞け
うらめしく かえりけるかな つきよにワ こぬひとをだに まつとこそきけ
恨めしいことに帰ってしまったのですね。月夜には訪れる予定のない人でさえも待つものと聞いたことがあるのに。
298 かご山の白雲かかる峯にてもおなじ高さぞ月は見えける
かごやまの しらくもかかる みねにても おなじたかさぞ つきワみえける
香具山の、白雲かかる高い峰にいても 平地と同じ高さに月は見えるものなんですね。
299 夜もすがら富士の高嶺に雲消えて清見が関に澄める月かな
よもすがら ふじのたかねに くもきえて きよみがせきに すめるつきかな
富士の高嶺に雲が消えて、一晩中清見が関に澄みきって照る月です。
300 山城のいはたの杜のいはずともこころのうちを照らせ月影
やましろの いわたのもりの いわずとも こころのうちを てらせつきかげ
山城の石田の森を照らす月は、何も言わなくても私の心の中を照らし出しておくれ月の光よ。
301 月にこそ昔のことは覚えけれ我を忘るる人に見せばや
つきにこそ むかしのことワ おぼえけれ われをわするる ひとにみせばや
月を見ることによってこそ 昔の事を思い出されるのですね。私を忘れている人に見せたいものです。
302 ながらへば思出にせむ思ひ出でよ君とみかさの山の端の月
ながらえば おもいでにせん おもいいでよ きみとみかさの やまのはのつき 
もし生き長らえたら、これを思い出にしましょう。思い出してくださいね。あなたと一緒に見た三笠山の山の端から出た月を。
303 あふさかの関の杉原したはれて月のもるにぞまかせざりける
おおさかの せきのすぎはら したはれて つきのもるにぞ まかせざりける
逢坂の関の杉原は、木々の間を通して木の下まで月の光で明るいです。関は月に守るのを任せているのですね。
304 つれヾと荒れたる宿をながむれば月ばかりこそ昔なりけれ
つれづれと あれたるやどを ながむれば つきばかりこそ むかしなりけれ
しんみりと寂しく荒れた家を眺めていると、昔とすっかり変わってしまったが月の光だけは昔と同じままですね。
305 深く入りてすまばやと思ふ山の端をいかなる月の出づるなるらん
ふかくいりて すまばやとおもう やまのはを いかなるつきの いずるなるらん
俗世を離れて山の奥に入って住みたいと思います。そう思う山の端から月は何を思って出てくるのでしょうね。
306 おのが身のおのが心にかなはぬを思はばものを思ひ知りなん
おのがみの おのがこころに かなわぬを おもわばものを おもいしりなん
自分の身が自分の心の通りにならないことを考えれば、この事情を理解できるでしょ。
307 菖蒲草かりにもくらんものゆゑにねやのつまとや人の見るらん
あやめぐさ かりにもくらん ものゆえに ねやのつまとや ひとのみるらん
5月5日あなたは気まぐれに来るだけなのに、妻戸を出ていくあなたを人はみたのでしょうか。早く帰らないからでしょ。
308 人知れずもの思ふことはならひにき花にわかれぬ春しなければ
ひとしれず ものおもうことワ ならひにき はなにわかれぬ はるしなければ
相手に心変わりされて物思いすることに慣れました。花は私の惜しむ気持ちに気づきませんが、花と別れぬ春はありませんから。
309 思はれぬ空のけしきを見るからに我もしぐるる神無月かな
おもわれぬ そらのけしきを みるからに われもしぐるる かんなづきかな
離れ離れになり、涙にくれる日々は時雨で晴れない空のけしきを見るように私も娘と同じように涙の雨にくれる神無月です。
310 あだ人はしぐるる夜半の月なれやすむとてえこそ頼むまじけれ
あだひとワ しぐるるよわの つきなれや すむとてえこそ たのむまじけれ
浮気な男は、時雨が降る頃の夜半の月のようです。当てにできそうで当てにできません。
311 誰が里にかたらひかねて郭公かへる山路のたよりなるらん
たがさとに かたらいかねて ほととぎす かえるやまぢの たよりなるらん
どこの家の人に声をかけ損ねてあなたと言う人は帰るついでに私に声をかけて来たのでしょう。
312 よしさらばつらさは我にならひけり頼めて来ぬは誰か教えし
よしさらば つらさワわれに ならいけり たのめてこぬワ たれかおしえし
分かりました。恨めしさは私から学んだのです。では、当てにさせておいて訪ねて来ないのは誰があなたに教えたのでしょう。
313 かづきけむ袂は雨にいかがせし濡るるはさても思ひ知れかし
かづきけん たもとワあめに いかがせし ぬるるワさても おもいしれかし
袂を頭にかぶって雨の中帰ったのでしょうか。袂はどうなりましたか。袂が濡れるとはどういうことか分かりましたか。
314 深くしも頼まざらなんきみゆゑに雪ふみわけて夜なよなぞ行く
ふかくしも たのまざらなん きみゆえに ゆきふみわけて よなよなぞいく
必ずしもあなたの頼りになってないであろうが、あなたのために雪を踏み分けて毎夜通うことです。
315 世の人のまだ知らぬまの薄氷見わかぬほどに消えねとぞ思ふ
よのひとの まだしらぬまの うすごおり みわかぬほどに きえねとぞおもう
世間の人がまだ気がつかない間に、沼に張った薄氷が気がつかない間に消えてしまうように姿を消した方が良いですよ。
316 秋は皆思ふことなき荻の葉もすゑたわむまで露はおくめり
あきワみな おもうことなき おぎのはも すえたわむまで つゆワおくめり
秋は、どんな物でも、物思うことのない荻の葉でさえも葉末がたわむほどに露を置くそうです。
317 いかなれば同じ流れの水にしもさのみは月のうつるなるらん
いかなれば おなじながれの みずにしも さのみワつきの うつるなるらん
どういうわけで、同じ兄弟にばかりそんなにむやみに心が移るのでしょう。
318 住吉のほそ江にさせるみをつくし深きにまけぬ人はあらじな
すみよしの ほそえにさせる みをつくし ふかきにまけぬ ひとワあらじな
住吉の江に差してある澪標は深いですが、そのように私の深い思いに負けない人はいないでしょう。
319 降る雨のあしとも落つる涙かなこまかにものを思ひくだけば
ふるあめの あしともおつる なみだかな こまかにものを おもいくだけば
降る雨のあしのように落ちる涙です。細々と物思いに心を砕くので。
320 神無月ありあけの空のしぐるるをまた我ならぬ人や見るらん
かんなづき ありあけのそらの しぐるるを まだわれならぬ ひとやみるらん
神無月の有明の空がしぐれるのを私以外に見ている人はいるのでしょうか。いないですよね。
321 忍ぶるも苦しかりけり数ならぬ身には涙のなからましかば
しのぶるも くるしかりけり かずならぬ みにワなみだの なからましかば
人に知られないようにするのも苦しいものです。人並でない私には涙がないければいいのに。人に心の中を知られません。
322 音せぬは苦しきものを身に近くなるとていとふ人もありけり
おとせぬワ くるしきものを みにちかく なるとていとう ひともありけり
音沙汰がないのは苦しいものですが、衣擦れの音がうるさいとて、身近に馴れることを嫌う人もいるのですね。
323 人の世にふたたび死ぬるものならば忍びけりやと心見てまし
ひとのよに ふたたびしぬる ものならば しのびけりやと こころみてまし
この世で人が二度死ぬものであれば、死後に私を追慕してくれるかどうかと一度死んで本心だったかどうか確かめてみたいものを。
324 夕霧に佐野の舟橋おとすなりたなれの駒の帰り来るかも
ゆうぎりに さののふなばし おとすなり たなれのこまの かえりくるかも
夕霧の中に佐野の舟橋に音がします。手馴れの馬が帰ってくるのかな。
325 住吉の波にひたれる松よりも神のしるしぞあらはれにける
すみよしの なみにひたれる まつよりも かみのしるしぞ あらわれにける
住吉の波に浸かっている松が波に洗われるよりももっと神の御利益が現れたことです。
326 いかにかくねを惜むらん菖蒲草うきには声をたてつべき世を
いかにかく ねをおしむらん あやめぐさ うきにワこえを たてつべきよを
どうして根を惜しむのかな。憂きな時には声を立てて泣くはずのこの世なのに。菖蒲はうき(泥)の中にあるのだからねを惜しむな。
327 世の中にふるかひもなき竹の子はわがつむとしを奉るなり
よのなかに ふるかいもなき たけのこワ わがつむとしを たてまつるなり
この世に生きていく価値もない我が身は、自分の積むべき年を父帝に長生きしてほしいと思って奉るのです。
328 年へたる竹の齢をかへしてもこのよを長くなさんとぞ思ふ
としへたる たけのよわいを かえしても このよをながく なさんとぞおもう
年を取った親の齢を返してでも我が子の長寿を願うのですよ。
329 あしかれと思はぬ山の峯にだにおふなるものを人のなげきは
あしかれと おもわぬやまの みねにだに おうなるものを ひとのなげきワ
不幸であれと思わない所でさえ生じるものなのに、ましてや私の所では...。
330 ひたぶるに山田もる身となりぬれば我のみ人をおどろかすかな
ひたぶるに やまだもるみと なりぬれば われのみひとを おどろかすかな
ひたすら山田を守る身となったので、山田の「驚かし」のように私ばかりが人を驚かすのですね。あなたからもお便りください。
331 三笠山さすがに陰にかくろへてふるかひもなきあめの下かな
みかさやま さすがにかげに かくろへて ふるかいもなき あめのしたかな
なんと言っても御笠の御蔭を蒙っているのに、生きてるかいもない雨空の下です。
332 君ひかずなりなましかば菖蒲草いかなるねをか今日はかけまし
きみひかず なりなましかば あやめぐさ いかなるねをか きょうはかけまし
もしお引き立てがなかったら、端午の今日も菖蒲の根を懸けることもなく、どんなにか声をあげて泣いたことか...。
333 思ひかね別れし野邉をきてみれば浅茅が原に秋風ぞ吹く
おもいかね わかれしのべを きてみれば あさじがはらに あきかぜぞふく
悲しさに耐えかねて、あの別れの野辺に来て見れば、浅茅が原にただ秋風が吹いています。
334 故郷へ我は帰りぬ武隈のまつとは誰につげよとか思ふ
ふるさとへ われはかえりぬ あぶくまの まつとワたれに つげよとかおもう
妻の待つ故郷へ私は帰ってしまうのです。阿武隈の松は待っていると誰に伝えてほしいと思ってるのかな。
335 枯れはつる藤の末葉のかなしきはただ春の日をたのむばかりぞ
かれはつる ふじのすえばの かなしきワ ただはるのひを たのむばかりぞ
すっかり落ちぶれてしまった藤原氏末流の悲しいことは、ただ春日の神を頼ることだけなのです。
336 夜の鶴みやこの内にはなたれて子を恋ひつつもなき明すかな
よるのつる みやこのうちに はなたれて こをこいつつも なきあかすかな
親鶴は都の中に放たれて、夜になると籠の中の子を恋い慕って毎夜泣き明かすのです。
337 身のうさは過ぎぬる方を思ふにも今行末のことぞかなしき
みのうさワ すぎぬるかたを おもうにも いまゆくすえの ことぞかなしき
この身のつらいことは、過ぎ去ったことを思うにも、もうこれからの事を悲しいと思うことです。。
338 埋木のしたは朽つれどいにしへの花のこころは忘れざりけり
うもれぎの したワくつれど いにしえの はなのこころワ わすれざりけり
今は埋もれ木が土の下で朽ちるように、自分の気持ちは衰えてしまっていますが、昔の華やかな心は忘れていないものですね。
339 今はたゞ昔ぞ常に恋ひらるゝ残りありしを思ひ出にして
いまワただ むかしぞつねに こいらるる のこりありしを おもいでにして
今となっては昔のことがいつも恋しく思われます。残された時間は、若くてまだ将来への夢があった頃を思い出として生きよう。
340 老いてのち昔をしのぶ涙こそここら人目をしのばざりけれ
おいてのち むかしをしのぶ なみだこそ ここらひとめを しのばざりけれ 
老いてしまった今では、昔を偲んで流す涙は、周囲の人の目を憚らないのですね。
341 行末のいにしへばかり恋しくば過ぐる月日を歎かざらまし
ゆくすえの いにしえばかり こいしくば すぐるつきひを なげかざらまし
これから先のことが昔と同じように心惹かれるならば、これから過ぎる月日も嘆くことはないでしょうに。
342 厭ひてもなほをしまるる我が身かな二度来べきこの世ならねば
いといても なおおしまるる わがみかな ふたたびくべき このよならねば 
厭わしく思っていても死ぬのはやはり惜しまれる我が身です。再び来ることが出来ないこの世なので。
343 難波江の蘆間に宿る月見れば我が身ひとつもしづまざりけり
なにわえの あしまにやどる つきみれば わがみひとつも しずまざりけり
。難波江の蘆の間に宿る月を見ると、我が身一つだけが沈んでいるのではないと気付かされます。
巻第十 雑下
344 蘆火たくまやのすみかは世の中をあくがれ出づるかどでなりけり
あしびたくまやのすみかワ よのなかを あくがれいずる かどでなりけり
蘆火焚く切妻屋根の粗末な家を住居とするのは、俗世間を離れ出る始めの門出だと分かりました。
345 しづのめがゑぐ摘む澤の薄氷いつまでふべき我が身なるらん
しずのめが えぐつむさわの うすごおり いつまでふべき わがみなるらん
身分の卑しい女がえぐを摘む沢の薄氷はすぐに消えますが、同じようにいつまで生き長らえることが出来る我が身なんでしょうか。
346 昔見し雲井を恋ひてあしたづの澤邊に鳴くや我が身なるらん
むかしみし くもいをこいて あしたづの さわべになくや わがみなるらん
昔見た天上を恋い慕って鶴が沢辺で鳴いてます。それが我が身の姿なんでしょうか。
347 三日月のまた有明になりぬるや浮世にめぐるためしなるらん
みかづきの またありあけに なりぬるや うきよにめぐる ためしなるらん
三日月がまた有明の月になったが、巡り巡ることが人が憂き世を巡っていく証しなんでしょうか。
348 散る花に又もやあはんおぼつかなその春までと知らぬ身なれば
ちるはなに またもやあわん おぼつかな そのはるまでと しらぬみなれば
散る花にまた会う機会はあるのかな。分からないですね。いつの春まで生きているのか分からない我が身ですから。
349 朝なヽ鹿のしがらむ萩の枝の末葉の露のありがたの世や
あさなあさな しかのしがらむ はぎのえの すえばのつゆの ありがたのよや
朝になると鹿が足をからませる萩の花の枝の枝先の葉に置いた露のように長らえ難い世の中です。
350 花薄まねかばこゝにとまりなむいづれの野邉もつひのすみかぞ
はなすすき まねかばここに とまりなん いずれののべも ついのすみかぞ
花薄が招くならば此処に留まりましょう。いずれの野辺でも終の住処となります。
351 よそに見し尾花が末に白露はあるかなきかの我が身なりけり
よそにみし おばながすえに しらつゆワ あるかなきかの わがみなりけり
無縁のことと思ってみていた尾花の花の先に置く露は、生きているかどうか分からないような儚い我が身のことだったのですね。
352 かくしつつ今はとなるらん時にこそくやしき事のかひもなからめ
かくしつつ いまワとなるらん ときにこそ くやしきことの かいもなからめ
この様に過ごして来て、もう最後ですとなった時に、後悔しても間に合わないのでしょうね。
353 夕さればものぞかなしき鐘の音あすも聞くべき身とし知らねば
ゆうされば ものぞかなしき かねのおと あすもきくべき みとししらねば
夕暮れは何とも悲しいもの。入相の鐘の音を明日も聞くことが出来るかどうか分からない身なので。
354 鶯の鳴くに涙の落つるかなまたもや春にあはむとおもへば
うぐいすの なくになみだの おつるかな またもやはるに あわんとおもえば
鶯が鳴いているのを聞いても涙があふれてきます。生きてまた春に逢おうとしているのでしょうか。
355 皆人の昔がたりになり行くをいつまでよそに聞かんとすらん
みなひとの むかしがたりに なりいくを いつまでよそに きかんとすらん
人は皆故人となって、その人のことを語ったりしていくが、自分はいつまで他人事のように聞いているのでしょう。
356 このよだに月待つ程は苦しきにあはれいかなる闇に惑はん
このよだに つきまつほどワ くるしきに あわれいかなる やみにまどわん
この世でさえ月の出を待つくらい闇の中はつらいのに、ああ、あの世ではどのような闇の中をさ迷うのでしょう。
357 おぼつかなまだ見ぬ道をしでの山雪ふみわけて越えんとすらん
おぼつかな まだみぬみちを しでのやま ゆきふみわけて こえんとすらん
不安なことです。全く見たことのない道なのに死出の山道は行きを踏み分けて行くことになるのでしょうか。
358 代らむと祈る命はをしからでさても別れむことぞかなしき
かわらんと いのるいにちワ おしからで さてもわかれん ことぞかなしき
身代わりになりたいと祈る命は惜しくはありませんが、そうなったとしても死に別れになることが悲しいのです。
359 この世にはまたもあふまじ梅の花ちりヾならむ事ぞかなしき
このよにワ またもあうまじ うめのはな ちりぢりならん ことぞかなしき
この世ではもう再び見ることはないでしょう。そんな梅の花が散り散りに散ってしまうことが悲しいのです。
360 この身をば空しきものと知りぬればつみえん事もあらじとぞ思ふ
このみをば むなしきものと しりぬれば つみえんことも あらじとぞおもう
この身は空だと悟れば、椎の実も空となり食べられないので罪になることはないでしょう。
361 我が思ふ事のしげさにくらぶればしのだの森の千枝はかずかは
わがおもう ことのしげさに くらぶれば しのだのもりの ちえワかずかワ
私の悩みの多さに比べたら、信太の森の楠木の千枝も物の数ではありません。
362 網代には沈む水屑もなかりけり宇治のわたりに我やすままし
あじろにワ しずむみずもも なかりけり うじのわたりに われやすままし
網代には沈む木くずなどないのですね。私のうだつも上がるかな。宇治の辺りに住もうかな。でも憂しの地でもあるしなあ。
363 大原やまだすみがまもならはねば我が宿のみぞ煙絶えける
おおはらや まだすみがまも ならはねば わがやどのみぞ けむりたえける
大原にはまだ住み始めたばかりで、炭竃にも慣れてなくて、私の家にだけ煙が上がってません。
364 涙川その水上をたづぬれば世のうきめよりいづるなりけり
なみだがわ そのみなかみを たずぬれば よのうきめより いずるなりけり 
涙川のその源流をたどり求めて見たら、世の辛いと思うその目から生ずるものでした。
365 思ひやれ心の水の浅ければかきながすべき言の葉もなし
おもいやれ こころのみずの あさければ かきながすべき ことのはもなし
私の辛さを思いやってください。私の心は浅いので書いて後世に残す和歌もありません。
366 かりそめの浮世の闇をかき分けてうらやましくも出づる月かな
かりそめの うきよのやみを かきわけて うらやましくも いずるつきかな
仮そめであるこの憂きの世の中の闇をかき分けて、うらやましいことに出ていく月です。
367 帰る雁西へゆきせばたまづさに思ふことをば書きつけてまし
かえるかり にしへゆきせば たまづさに おもうことをば かきつけてまし
北に帰る雁がもし西に行くのであれば、手紙に私の思いを書きつけて託すのになあ。
368 身をすつる人は誠にすつるかは捨てぬ人こそすつるなりけれ
みをすつる ひとワまことに すつるかワ すてぬひとこそ すつるなりけれ
仏に救いを求めて出家する人は、願っているわけだから本当に身を捨てたことにならない。出家しない人の方が返って本当に捨てています。
369 筑波山ふかくうれしと思ふかな濱名の橋にわたす心を
つくばやま ふかくうれしと おもうかな はまなのはしに わたすこころを
常陸国としては深くうれしく思います。税の責めを遠江国に移してくださったご配慮を。
370 年を経て星をいただく黒髪の人よりしもになりにけるかな
としをへて ほしをいただく くろかみの ひとよりしもに なりにけるかな
長年の間、朝の暗いうちから夜遅くまで働き続けて黒髪も霜のように白くなりましたが、私より位の低かった人に越えられてしまったなあ。
371 雲の上は月こそさやに冴え渡れまだとどこほるものや何なる
くものうえワ つきこそさやに さえわたれ まだとどこおる ものやなになる
雲の上では実に月はくっきりと氷のように冴えわたっていますが、他には無いはずなのにまだ凍ったままの物は何なんでしょうか。
372 とどこほることはなけれど住吉のまつ心にや久しかるらん
とどこおる ことワなけれど すみよしの まつこころにや ひさしかるらん
滞ることはありませんが、待っている心には長く感じるのでしょうか。
373 白河のながれをたのむ心をば誰かは空にくみて知るべき
しらかわの ながれをたのむ こころをば たれかワそらに くみてしるべき
白河院の血統を頼りにしている私の心を誰が何にもなしに推し量り知ることが出来ますでしょうか。出来ないであろうことが残念です。
374 百とせは花にやどりて過ぎしてきこの世は蝶の夢にぞありける
ももとせワ はなにやどりて すぎしてき このよワちょう(てふ)の ゆめにぞありける
長い年月を花と戯れて過ごしてきましたので、この世は「胡蝶の夢」なのだと分かりました。
375 木の下にかき集めたる言の葉をはゝその森のかたみとは見よ
このもとに かきあつめたる ことのはを ははそのもりの かたみとワみよ
子のもとに書き集めたこの和歌の草子を、母の形見だと思って見てほしいです。
376 思ひかねそなたの空をながむればただ山の端のかかる白雲
おもいかね そなたのそらを ながむれば ただやまのはの かかるしらくも
耐え切れないであなたが行く方の空を眺めたら、ただ山の端に懸かる白雲が見えるだけです。
377 わたの原こぎいでて見れば久方の雲井にまよふ沖つ白波
わたのはら こぎいでてみれば ひさかたの くもいにまよう おきつしらなみ
大海原に漕ぎだして眺望してみると、遥か彼方に雲と見まちがう沖の白波がたってます。
378 うちむれて高倉山につむものはあらたなき世のとみ草の花
うちむれて たかくらやまに つむものワ あらたなきよの とみくさのはな
人々が群れ集まって高倉山で摘む花は、荒田のない新たな御代の富草の花です。
379 板倉の山田につめる稲を見てをさまれる世のほどを知るかな
いたくらの やまだにつめる いねをみて おさまれるよの ほどをしるかな
板倉の山田に高く積んである稲を見て、租税の穀物も納まれ、治まれる御代のその程が分かります。
380 水上のさだめてければ君が代にふたたびすめる堀河の水
みなかみの さだめてければ きみがよに ふたたびすめる ほりかわのみず 
みなもとを定めておいたので君の御代に再び澄める堀河の水です。
381 いさやまだつゞきも知らぬ高嶺にてまづくる人に都をぞ問ふ
いざやまだ つづきもしらぬ たかねにて まずくるひとに みやこをぞとう
さあ、この先どれ程峰が続いているか分からない高嶺にて、真っ先に訪れてくる来る人に都のことを尋ねよう。
382 都にてながめし月のもろともに旅の空にも出でにけるかな
みやこにて ながめしつきの もろともに たびのそらにも いでにけるかな
都で眺めた月は、私が旅に出たのと一緒に、旅の空にも出たのですね。
383 都にてながめし月を見る時は旅の空ともおぼえざりけり
みやこにて ながめしつきを みるときワ たびのそらとも おぼえざりけり
都で眺めた月は、こうして見る時は、これが旅先のものとも思われないものなんですね。
384 風越の峰の上にて見るときは雲は麓のものにぞありける
かぜこしの みねのうえにて みるときワ くもワふもとの ものにぞありける
風越山の峯の上で見る時は、雲は山の麓のものだったと気づかされました。空にあるんじゃないんだ。
385 昔見し垂井の水はかはらねどうつれる影ぞ年はへにける
むかしみし たるいのみずワ かわらねど うつれるかげぞ としワへにける
昔見た垂井の泉の水は同じだけど、その水に映っている姿はあれから長い年月がたったのだと分かることです。
386 思ひ出もなき古里の山なれど隠れ行くはたあはれなりけり
おもいでも なきふるさとの やまなれど かくれゆくはた あわれなりけり
何の思い出もない故郷の山々ですが、隠れて見えなくなっていくのはやはり悲しいことですね。
387 いにしへを恋ふる涙にくらされておぼろに見ゆる秋の夜の月
いにしえを こふるなみだに くらされて おぼろにみゆる あきのよのつき
亡くなった人を恋しく思って流す涙に曇らされて、澄んで明るいはずなのに朧に見える秋の夜の月です。
388 その事と思はぬだにもあるものをなに心地して月を見るらん
そのこととおもわぬだにも あるものを なにここちして つきをみるらん
特に理由がなくても月を見ると悲しくなるのに、娘に先立たれては、今どのような気持ちで月を見ておられるのでしょうか。
389 夢ならでまたもあふべき君ならばねられぬ寝をも歎かざらまし
ゆめならで またもあうべき きみならば ねられぬいおも なげかざらまし
夢の中ではなくて、現実にまた会うことができるのであれば眠れなくても嘆かないのに。悲しみで眠れなくて夢の中で会えません。
390 思ひかねながめしかども鳥辺山はては煙も見えずなりにき
おもいかね ながめしかども とりべやま はてワけむりも みえずなりにき
悲しさに耐えかねて鳥辺山を眺めたけれども、あの人と思って見ていた煙も見えなくなってしまいました。
391 ゆふまぐれ木茂き庭をながめつつ木の葉とともに落つる涙か
ゆうまぐれ こしげきにわを ながめつつ このはとともに おつるなみだか
夕方になりあたりも薄暗くなり始めた頃、木の繁った庭を眺めつつ、木の葉が散るのと一緒に落ちる涙です。
392 人しれずもの思ふをりはありしかどこの事ばかりかなしきはなし
ひとしれず ものおもうおりワ ありしかど このことばかり かなしきワなし
人知れずつらい思いは色々あったけど子に先立たれることほど悲しいものはありません。
393 おひたゝで枯れぬと聞きしこのもとのいかで歎きの森となるらん
おいたたで かれぬとききし このもとの いかでなげきの もりとなるらん
成長しないで枯れてしまったと聞いた木が、どうしてなげきの森となるのでしょう。
394 けふよりは天の川霧たちわかれいかなる空にあはむとすらん
きょうよりワ あまのかわぎり たちわかれ いかなるそらに あはむとすらん
織女が天の川の朝霧が立つとともに牽牛と別れるように七日の今日よりはそれぞれ別れてしまって何処で逢えるのでしょうか。
395 七夕はのちの今日をもたのむらん心ぼそきは我が身なりけり
たなばたワ のちのきょうをも たのむらん こころぼそきワ わがみなりけり
織女は来年の今日を当てにしていることでしょう。織女は心細いことだと思ってきたが、実は心細いのは私のことでした。
396 あさましや君に着すべき墨染の衣の袖をわがぬらすかな
あさましや きみにきすべき すみぞめの ころものそでを わがぬらすかな
嘆かわしいことです。当然あなたが着るはずでした墨染め色の喪服を私が着ることになってその袖を涙で濡らすことになるとは。
397 こぞの春散りにし花も咲きにけりあはれ別れのかゝらましかば
こぞのはる ちりにしはなも さきにけり あわれわかれの かからましかば
去年の春に散った花もまた咲きましたよ。ああ、死に別れがこのようであったらなあ...。
398 涙のみ袂にかかる世の中に身さへ朽ちぬることぞかなしき
なみだのみ たもとにかかる よのなかに みさえくちぬる ことぞかなしき
涙が袂に流れ続けて朽ちてしまったのに、このような世の中で我が身までもが朽ちていくのが悲しいことです。
399 おりヽのつらさを何に歎きけむやがてなき世もあればありけり
おりおりの つらさをなにに なげきけん やがてなきよも あればありけり 
その時々の仕打ちを恨めしいとどうして嘆いたのでしょう。いずれ訪れることなく死んでしまう命もあるんですよねえ。間遠くなることなど歎くほどのことはなかった。
400 人をとふ鐘のこゑこそあはれなれいつか我が身にならむとすらん
ひとをとう かねのこえこそ あわれなれ いつかわがみに ならんとすらん 
他人を弔う鐘の音はしみじみ悲しいことですが、いつそれが我が身のことになろうとしているのでしょうか。
401 悔しくも見初めけるかななべて世のあはれとばかり聞かましものを
くやしくも みそめけるかな なべてよの あわれとばかり きかましものを
悔やまれることに、知り合いになってしまったことだ。誰とも知らない一般的なこの世の悲しみとして聞けば、こんなに悲しくないのに。
402 かくてのみよにありあけの月ならば雲かくしてよ天くだる神
かくてのみ よにありけりの つきならば くもかくしてよ あまくだるかみ
この様な不本意の身のままで世に有り続けるのなら、有明の月を雲が隠すように、私の身もこの世から失くして欲しい、天下りし稲荷明神よ。
403 長き世の苦しきことを思へかしなに嘆くらむ仮のやどりに
ながきよの くるしきことを おもえかし なになげくらん かりのやどりに
あの世でのいつまでも続く煩悩の闇のことを考えなさい。何を嘆くのですか、仮の宿りであるこの世のことを。
404 思へども忌むとていはぬことなれば其方にむきて音をのみぞなく
おもえども いんとていわぬ ことなれば そなたにむきて ねをのみぞなく
心に思っていても、斎院として仏事は禁忌とされていたので、西に向かって声を出して泣くだけです。
405 あくがるゝ身のはかなさは百年のなかば過ぎてぞ思ひ知らるる
あくがるる みのはかなさワ ももとせの なかばすぎてぞ おもいしらるる
仏の真の教えを悟らずに、諸国を流浪する身のはかなさは、50余年を過ぎてやっと分かりました。
406 露の身のきえて佛になることはつとめて後ぞ知るべかりける
つゆのみの きえてほとけに なることワ つとめてのちぞ しるべかりける
露のようにはかない罪業ある身が消えて仏になるということは、修行して後に知ることが出来ると分かりました。修行して始めて成仏する。
407 よそになど佛の道をたづぬらん我が心こそしるべなりけれ
よそになど ほとけのみちを たずぬらん わがこころこそ しるべなりけれ
どうして他の所に仏の道を捜し求めたのでしょう。わが心こそ仏道の案内者だったのです。
408 いかで我こゝろの月をあらはして闇にまどへる人を照らさむ
いかでわれ こころのつきを あらわして やみにまどえる ひとをてらさん
なんとかして仏道を成し心の月を現して、煩悩の闇に迷っている人を照らしたいものです。


「詞華和歌集」(松田武夫校訂、岩波文庫)と「金葉和歌集集 詞花和歌集 新 日本古典文学大系」(岩波書店)の両書より
勝手気ままに被除歌を除きましたので通し番号がそれぞれと異なっています。
歌人名や詞書など記載しておりませんので、歌の意味も解釈しきれないものがあります。川の流れに魅入る
ように400首余の歌の流れをそのままに感じ取りたくて書き出してみました。
さらに興味が湧きましたら、是非この両書や他の文献、サイトを巡ってくださいね。

「詞華和歌集」(松田武夫校訂、岩波文庫)1994年3月8日第4刷発行 *全釈無 411首
「金葉和歌集 詞花和歌集 新 日本古典文学大系」(岩波書店))1989年9月20日第1刷発行 *全釈有 415首
新明解古語辞典第二版 (三省堂) 1980年11月1日第14刷発行
「やまとうた」のサイト  千人万首
日文研データーベース「詞花和歌集」のサイト


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